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あじさいのつぼみをみてゆったりしたゆとりがほしくなるはなし

保育園の送迎中。三つ子を連れて歩いていると、あじさいの花のつぼみに気がついた。

そういえば去年の梅雨時期のこと。傘が壊れた。子育て中だし試しに75cmという大きめの傘を買ってみた。成人男性の一般的な傘のサイズは、65cmらしい。それに比べるとだいぶデカい。子どもを抱っこしたり、荷物をたらふく持ったり、子育て中には便利かもしれない。そんな、軽い気持ちだった。使ってみると、それなりに重宝した。

ある日、そんなデカい傘を持って都会へでかけた。子育て中ではあるものの、たまたま用事があって雨の六本木を傘をさしながら歩く機会があった。傘がデカすぎる。人とぶつかる。ぶつかり続ける。大きな傘はジャマだった。都会の生活には大きすぎる。

三つ子の育児には二人用ベビーカーが必須だ。近所のスーパーへ二人用ベビーカーで買出しに行く。二人用ベビーカーは、スーパーのレジが通れない。レジにカゴをおいたら、ぐるっと回って反対側へいって、受け取る必要がある。普段の生活には、二人用ベビーカーは大きすぎる。

傘やベビーカーが大きいのかとも思った。いや、ちょっとまってくれ。そもそも国が狭いのではなかろうか。(いささか話が飛躍し過ぎな感は認めざるを得ないが。)エレベーターだって線路のレールの幅だって狭いのだ。社会インフラのサイズそのものが小さく設計されているのではないだろうか。都会と田舎でも違うのかもしれないし、詳しい事はよくわからないが、コンパクトな設計は、多胎の子育てにはいささか不便だ。

都会の道幅も建物ももう少し大きかったら子育てしやすいのかもしれない。でも、実際は小さいし、狭い。小さくて狭いものは仕方ない。大きめの傘をさしながら雨の六本木で他の人の通行の邪魔になりながら申し訳無さを感じつつ、そんな事を考えた。

その代わりといっては何だが、気持ちや時間は、ゆったりとゆとりを持っていきたい、そんなことも同時に考えた。

毎日毎日、せかせかとバタバタと過ごしてしまう育児。ゆとりなんていってられないけど、ゆったりとしたゆとりという意識だけでも持ちたい。

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