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急性虫垂炎で入院した話

はじめに

これは急性虫垂炎になってしまった私の、通院→入院の記録である。もし同じ症状の方がいたら参考にしてもらえると幸いである。

前兆

「あ〜胃がいて〜」
日曜日の目覚めは最悪だった。土曜日の飲み会でなんか変なものでも食べてしまったんだろうか。そう考えた自分は、まず市販の胃薬を飲んだ。

数時間経っても痛みは治らなかった。

「いて〜なんか今度は腸が痛いなぁ。なんかちょっと気持ち悪い…」
痛みが胃から腸に移動していた。もしかして食中毒か?と思った自分は市販の胃薬と整腸薬を飲んだ。

さらに、数時間後、痛みは相変わらず腸にあった。ここで自分は病院に行った方がいいのではと思い、近くの病院を探したが、今日は運悪く日曜日、どの病院も開いていなかった。仕方がないので明日月曜日に行こうと考え、今日は痛みと仲良くすることにした。

寝る前に体温を測ったら、37.4℃、微熱があった。

通院1日目

日曜の夜は何とか痛みに耐え、月曜朝に最寄りの内科を受診した。医師に昨日の顛末を伝えたところ、

「いや〜分からないですね…。痛み止め出すので様子を見てください。あと念のため血液検査しましょう。」

とのことだった。分からないのか…と少しがっくりしたが、痛みが引くなら良かったと思った。

内科受診後、熱は無かったので、出社して勤務した。腸の痛みは痛み止めのおかげで何とかなっていたので、通常業務に支障はなかった。

通院2日目

火曜日になった。腸の痛みは痛み止めのおかげで何とかなっていた。普通に出社していたら、病院から電話があった。

「昨日の血液検査の結果ですが、だいぶ悪い数値があるので、今日の夕方CTを撮っていただきたいのですが…」

なんだなんだ、そんなに悪かったのか。色々と不安になってきたが、とりあえずそれを受けて、CTを撮ることにした。

夕方、CTを撮るために別の病院に行った。CTは初めてだったので不安だったが、医師の丁寧な説明のおかげで不安はちょっと和らいだ。自分が受けたのは造影CTと言って、血液に造影剤を流して、それからCTを撮る、というものだった。造影剤を流された瞬間は体が熱くなったが、そういうものらしい。CTの仕組みは良く分からないので割愛するが、X線が出る輪っかの中に体が通ることで、人体を透過したり輪切りにした画像が撮れる、というものらしい。

CT写真。これで虫垂炎だとわかるのか・・・?

撮影後、その撮影データを持って、元の病院に赴いた。すぐに診察室に呼ばれて、言われたのはこの一言。

「虫垂炎ですが、血液検査が危険な数値なのですぐに入院してください」

入院…だと…?
どうすりゃ良いんだ。何も準備してないぞ。仕事はどうするんだ。親に連絡するか?…
色々な思考が巡った。色々考えているうちに病院側が入院先の病院(立川の災害医療センター)を見つけてくれていた。こんなに早く入院先が見つかるのは運が良いらしい。こんな事で運を使わなくても…。

病院が呼んでくれたタクシーが来たので飛び乗った。行き先は立川の災害医療センター。10分ほど走って、到着した。

入院0日目

救急センターにタクシーを止めてもらい、まず夜間受付に行った。もろもろの書類などを渡し、個人情報を記入して待つ。数分後、「緑の線を辿った先の夜間外来に行ってください」と言われたのでそれに従う。夜間外来の扉を開けると医師が待っていた。

「こんばんは〜。あ、歩けるんですね。ちょっとこのベットに横になってください」

まずPCR検査を行った。唾液じゃなくて鼻に入れるやつ。結構痛かった。結果は無事?陰性。

この後問診と触診が始まった。

「痛みはどんな感じでした?」と聞かれたので、日曜日からの話をつらつらと伝えた。その後、血液検査の結果とCTの結果を合わせた診断は、やはり「急性虫垂炎」だった。

ちなみに触診の時に医師が虫垂のあたりを押して、そこから急に手を離すと痛みを感じた。これは虫垂炎の典型的な症状らしい。

治療方針として、絶飲食の状態で抗生剤を点滴して虫垂に巣食う細菌をやっつけることになった。ギリギリ手術は避けられたようだ。ちょっとホッとした。

すぐ入院が必要とのことだったので、入院前に親に連絡した。びっくりしていたが、母が駆けつけてくれるとのことだった。ありがたい…。

点滴用の針をぶっ刺されて、絶飲食が始まった。入院先のベッドまでは車椅子で移動した。歩けるんだけどな…

ベッドに着いた。4人部屋だった。看護師さんから入院の説明を受けた。色々と聞きたいことがあったが、夜分だったので明日にでも聞こうと思った。

災害医療センターのパンフレット

看護師さんからの説明が終わり、とりあえず寝ることにした。が、寝られなかった。理由は隣のおじいさんのイビキと咳と寝言が尋常じゃないくらい大きかったのだ。多少のイビキなら寝られる自分でも、こればかりは無理だった。

結局朝まで一睡も出来なかった。
最後の方は看護師さんの配慮で誰もいない談話室に連れて行ってもらって、そこで体を休めていた。

知らない天井…

入院1日目

水曜日。一睡も出来なかったので朝から疲れている。看護師さんの配慮で、隣のおじいさんは別室に移動することになった。正直助かったと思った。ありがとう看護師さん。

朝ご飯の時間になった。良い匂いが立ち込めてくる。だが絶飲食中なので何も飲み食いできない。辛い。何か食べたい。
ちなみにこの苦しみをあと数日味わうことになる。

点滴のおかげか、喉は乾かなかった。不思議。でも腹は空く。お腹は鳴る。辛い。

栄養剤。絶飲食の友。
抗生剤セフメタゾール。こいつが菌をやっつけてくれる。

朝食の時間の後、血液検査を行った。結果はちょっと良くなったが、まだ数値は高いらしい。つまり絶飲食続行。辛い。

この辺りで携帯の電池が切れた。何せ緊急入院だったので、携帯の充電ケーブルを持ってきていなかったのだ。しかし自分は病棟移動しかできない状態なので、病院1階にあるローソンに行けない。そこで看護助手さんに頼んでローソンで充電ケーブルを買ってきてもらった。ありがとう看護助手さん。

昼過ぎに母がやってきた。着替えとかを持ってきてくれた。ありがたい…。しばらく東京に居てくれるようで、東京にいる間、自分のアパートの部屋を使ってもらうことになった。自分の部屋は相当のオタ部屋で正直親に見せたくなかったが、背に腹はかえられなかった。

入院2日目

木曜日。絶飲食2日目。食事の時間は談話室に籠ることにした。美味しい匂いを嗅ぐと気が狂いそうになるから。

この日は特に変化は無く過ぎていった。強いて言えば、許可をもらって髪を洗ったぐらい。風呂に入れていないので、体臭が不安になってきた。

病室全景。

入院3日目

金曜日。絶飲食3日目。限界だった。何か食べたい欲がmaxに達していた。

ここで朝の血液検査。結果は良好!昼から食事が再開されることになった。これほど嬉しいことはなかった。やっと絶飲食から解放された。

昼飯は重湯。なんというか、お粥の上澄み液みたいなやつだった。それでも最高に美味しかった。今ならなんでも美味しいって言える気がした。

久しぶりの飯。美味しかった。

夕飯も重湯。飽きのこない味で、無限に食べられると思った。デザートのコーヒーゼリーがめちゃくちゃ美味しかった。歯ごたえがあり、食べ応えのある味だった。

入院4日目

土曜日。この日の朝ごはんから5部粥になった。やっと米が食べられた。とても美味しかった。

医師の許可が降りて、この日から体を洗うことができるようになった。やっと体がスッキリした。

夕ご飯から全粥。有無を言わさず美味しかった。

入院5日目

日曜日。昼から普通の食事になった。ここまでくると病院食でも大変満足できる体になっていた。

この日の晩飯はハンバーグだった。病院食でもハンバーグ出るのかと驚いた。

ハンバーグ。薄味だけど美味しかった。

入院6日目(退院)

月曜日。朝イチに血液検査があった。結果は良好!医師からすぐ退院できるが、どうする?と聞かれたので、「すぐ退院します!」と答えた。

ついでに医師に今回の虫垂炎の原因について聞いてみたが、虫垂炎は色んな要因が複雑に絡んでいて、何が悪かったかを特定することはできないらしい。つまり運が悪かったということだ。医師からは「毎日便をして、規則正しい生活をしてください」と言われた。そうします。

そのあと看護師さんから現実に突き落とされる報告を受けた。医療費の精算である。今回の医療費は、12万2130円。これで3割負担である。いや、3割負担でこの程度で済んでると言った方がいいかもしれない。手持ちではそんなに無いので、クレジットカードで支払った。今時は医療費精算も自動化・無人化されていて、自動音声に従う形でクレカ支払いをした。

看護師さんからの医療費報告。生々しい。

支払いも完了し、抗生剤の薬を貰って、無事退院となった。

処方された抗生剤。効いてくれ〜

退院後、病院に来てくれた母と会い、病院1階のドトールでケーキを食べた。久しぶりの甘味は最高に美味しかった。

その後立川駅で母と別れて、自分のアパートに戻った。そこには整理整頓されたオタ部屋があった。恥ずかしさが込み上げてきた。

おわりに

以上が急性虫垂炎の顛末である。
急性虫垂炎になって、分かったこと・気づいたことを列挙する。

・体調に不安を感じたらすぐ病院に行った方がいい。
・入院時、困ったら看護師さんに助けを求めた方が早く問題解決する。
・万が一にも対応できるように、保険証は常に携帯しておく。
・規則正しい生活は大事。

これからは再び病を患わないために、健康的な食事をして規則正しく生きていこうと思う。

最後に、献身的な医療を提供してくださった立川の災害医療センターの医師、看護師、看護助手の皆様と、毎日着替えを持ってきてくれた母に感謝申し上げます。

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