自然であるという軸足
私たちはふと気がつくと人間よりな考えに偏りがちである。私もふと気がつくと自分のことばかり考えていることがあり、またやってるよと思うことがしばしばあります。
私たちはどこから来てどこへいくのか?
宇宙の意思はどこへ向かっているのか?
宇宙から地球を見たら、自分の事しか考えず生きていることがとてもちっぽけに感じます。
その思考の範囲は際限なく広げることができます。
ただ、日常においてそこまでいちいち考えて生きるのも面倒くさいので、私は自然の中に軸足があるかどうか意識しようと考えました。
なるべく自然に触れることができるように自分の体を操るようにしています。
自然の中に身を置き、何者でもない自分に出会い、何かできることはないか?考えるようにしています。
私が何者かを追求し始めると結局終わりのない旅を続けることになる気がします。
私は別に何者でもよくて、自然とどう調和して生きていきたいか?
そんなことを頭の片隅に置いて判断基準とするようにしました。
畑や山に身を置いて植物、動物の姿や様子を見て自分は何を感じるのか?
元を辿れば、私たちもこの生き物の中の1種類であり、たまたま地球を支配する力があったに過ぎないのです。
便利だと思って使っている物が、何者かの犠牲があって成り立っていて、人間だけが便利だと思っている物は多くあると思います。
資本主義のシステムの中で、豊かに暮らせるように働きお金を稼ぐことに人生の半分以上使っています。
私たちは豊かになっている感じがする。結婚して、車を買い、家を購入して、子どもを育てる。
でも、いつもどこかでこういうことじゃないと言っている自分がいたり、納得していない感じがするのはなぜなのでしょうか?
私はいつも感じています。もっと認められたいし、もっと何かできるのではないか?
でも、山の中に入りそびえ立つ木々を見て、海に行き、波に飲まれる自分を見て、なんてちっぽけなんだとも思います。
また、この美しい自然をなるべく後世の人たちにも体験してもらいたい。結局自然の中で人は生きているのではないか?と痛感します。
食べている物も住むための場所も、そもそも自分自身も自然の一部です。
私が疑問を持ちながらどうバランスをとって生きていくのか?は一生の課題なのだと考えています。
まだまだ見たことも聞いたこともない世界が自分とその周りには溢れています。
自然に軸足を置きながら、なぜだろう?という気持ちを忘れずに生きて行きたいと思います。
大人になったからといって全てを理解している人間などいません。いつも悩み、疑問を持ち、その時々で答えを出していくしかないのかもしれません。
今日は自然に軸足を置いて生きるということについて考えてみました。
あなたの軸足はどこにありますか?
ここまで読んでくださりありがとうございます🙏
また次回の記事でお会いしましょう。
でわまた🖐️
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