七夕にまつわるお能:「天鼓」「関寺小町」「呉服」
7月7日は七夕ですね。
願い事を書いた短冊を笹に飾ったり、織姫と彦星の話を思い出す方もいるかもしれません。
「七夕」にまつわるお能がありますので、ご紹介いたします!
天鼓(てんこ)
【あらすじ】
美しい音色で鼓を打つ天鼓という少年は、その名付けの元となった、生まれた時に天から降りてきた鼓を献上しなかったため、死罪となってしまいます。その鼓は宮中に置かれましたが、誰が打っても鳴ることはなく、帝は天鼓の父を呼び鼓を打たせます。
父は息子が処刑された恨みを抑え、息子を想って鼓を打ったところ美しい音が鳴りました。
その様子を見た帝は心を動かされ、天鼓を弔うために管弦の法要を執り行います。そこに天鼓の霊が現れ弔いを喜び、鼓を打ち、舞を舞うと、夜明けと共に消えていきました。
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物語の最後の地謡の詞章です。
「星も相逢ふ空なれや」
織姫星と牽牛星(彦星)が出会うということ。
「烏鵲の橋 」(うじゃくのはし)
七夕の夜、牽牛・織女の二星が会うとき、カササギという鳥が翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。
など、七夕にまつわる詞章が見られます。
「天鼓」とは雷や星のこととされ、彦星である牽牛の別名とも言われています。また、仏教では天上の楽器とされることもあるようです。
能の後半で現れる天鼓の霊は、殺された苦しみや悲哀などはなく、人間離れした精霊のような存在です。
まさに天鼓の名にふさわしいキャラクターとして描かれています。
関寺小町(せきでらこまち)
【あらすじ】
関寺の僧たちは七夕祭りの日に、子ども達と、和歌の道を極めたと噂の老女の庵を訪れます。
その老女はかつて和歌の名人と言われた小野小町でした。
自分の老いを嘆く小町でしたが、稚児(子ども)が舞う七夕の舞を観て、庵から出てきて、自らも杖にすがって舞を舞います。
百歳の小町は昔のように舞うことはできず、自らの老いを嘆き、庵に戻っていくのでした。
物語の冒頭部分の詞章です。
この物語が七夕の日の出来事ということが分かります。
また、後半では七夕祭りで稚児が舞を舞い、それにつられて小町も舞を舞います。この場面では、無垢な子どもと人生を重ねてきた老人との対比を感じることができます。
「関寺小町」は能の中でも非常に重厚な曲(秘曲)として扱われており、一般的に「姨捨(伯母捨)」「檜垣」を加えた三曲は「三老女」と呼ばれ(金剛流では「関寺小町」「鸚鵡小町」「卒都婆小町」)、高度な技術と芸格、相当の芸歴を持つ能楽師しか演じることができません。
そのため上演頻度は少ないですが、チャンスがあればぜひ足を運んでみてください。
人生の儚さや栄枯盛衰について深く考えさせられる一曲です。
呉服(くれは)
【あらすじ】
帝の臣下が呉服の里を訪れると、機織(はたおり)をしている二人の女性に出会います。二人は呉織(くれはとり)・綾織(あやはとり)であると名乗り、臣下に夜明けを待つように言い残すと姿を消します。
やがて臣下の前に呉服の神が現れ、舞を舞った後、帝に織物を捧げ消えていきました。
「織姫」や「織女(たなばた・七夕)」という詞章が出てきます。
七夕は元々中国の神話であり、登場する織女(しょくじょ)は、天上で神様たちの衣を織る仕事をしていました。
「呉服」で登場する二人の女性は、この神話に登場する織女をイメージしたものだと考えられます。
また、「呉服」では、機織(はたおり)を模した珍しい作り物が登場します。(作り物が出ないこともあります)
機会があったら、ぜひご注目くださいね。
東京・入谷では、毎年7月6日から8日まで朝顔市が開催されますが、「朝顔」という能(現在はどの流儀でも演じていません)にも、七夕の故事が謡われます。
現代まで風習として残っているのも感慨深いものがありますね。