「雪号(せつごう)」ってなに?
先日、シテ方観世流の野村四郎(のむら しろう)師が、26世 観世清和宗家より雪号(せつごう)を授与され、「幻雪(げんせつ)」と名のられることが、発表されました。
今回は観世流の雪号について紹介したいと思います。
雪号の授与は、現在シテ方観世流にのみに伝わる習慣で、他の流儀にはみられません。
明治時代、22世 観世清孝(かんぜ きよたか)が、功績が認められる弟子家の職分に許したのが最初です(職分の定義が流儀ごとに違っていてややこしいので、ここでは「宗家や分家ではなく、弟子家で功績が認められた人」という意味で読んでくださいね)。
今回の野村四郎師が、11人目になります!
「雪」を名のることは宗家から許され、与えられる、ということになります。
(「幻」の字の由来などについては、檜書店が刊行している雑誌『観世』7・8月号でインタビューを掲載予定です!お楽しみに!)
またこれとは別に、観世宗家と、分家である現在の観世銕之丞(かんぜ てつのじょう)家では、これまで隠居名や法名として、雪号を自ら名のられた方がたくさんいます。
観世大夫(現在では観世宗家)で最初に雪号を名のったのは、9世 観世身愛(かんぜ ただちか)で、隠居名として、「黒雪(こくせつ)」と名のりました。9世は徳川家康と同時代を生きた観世大夫です。その時代に「黒雪」とは、洒落ていますよね!
『元禄六年卯月観世大夫重記奥書十番綴謡本』
13世 観世重記が、高祖父の「黒雪」の謡本を写したと記される謡本の奥書。
(檜書店所蔵)
歴代の観世大夫がすべて雪号を名のってきたわけではありませんが、観世大夫家では、「雪」の一字を大切にされています。雪に象徴される白という色は、能の世界では位が高いとされているようです。
そのような「雪」の一字を、明治期になって観世宗家が功績のある能楽師に授与するようになり、今日に至っています。
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