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昔の能はミュージカル?:世阿弥時代の謡い方

先日(4月22日)、国立能楽堂企画公演で、復曲(ふっきょく)能『泰山木(たいさんもく)』がありました。

今回の公演は、観世宗家と金剛宗家の異流共演でした!

また、観世宗家に伝わる面(おもて)の赤鶴(しゃくづる)作の「小べし見(こべしみ)」と徳川秀忠公拝領の「狩衣(かりぎぬ)」という装束を金剛宗家が用い、
金剛宗家に伝わる、龍右衛門(たつえもん)作の「雪の小面(ゆきのこおもて)」を観世宗家が用いる、
という珍しい企画の上演でもありました。

さて、復曲能とは、室町時代や江戸時代に作られたけれど、現在では演じられていない演目を復活させた能のことを言います。
世阿弥作の『泰山木』は、「春のお能」として以前ここでも紹介しましたね。

泰山木の作り物 トリミング

『観世元章作物図』(檜書店蔵)
「泰山府君(泰山木の別名)」の作り物として、桜立木(さくらたちき)の図が描かれています。なお、金剛流では「泰山府君」として、現在も現行曲として演じられています。


『泰山木』は、2000年と2001年の公演の時は「世阿弥時代の同音(どうおん)・地謡による 『泰山木』」として演じられました。

「世阿弥時代の同音・地謡」とは、いったい今とどんな違いがあったのでしょうか。
そもそも「同音」とは何なのでしょうか。

同音とは、舞台に出ている人が一同で一緒に謡う、ということになります。

能がオペラやミュージカルに例えられることがありますが、主人公の心情を歌うシーンでは主人公が歌い、一緒に周りの役者たちも歌うというシーンがありますね。
主人公の気持ちを主人公が歌わない、なんてことはありません。

現在の能では主人公が黙ったままで、地謡がシテの心情を謡うシーンがよくあります。
ところが、世阿弥時代では、シテの心情を謡うシーンは、シテもワキも地謡も皆で一緒に謡っていたのです。
これが能の「同音」と言われ、現代の能と演出が異なる部分です。

そんなシーンを思い浮かべると、世阿弥時代の能は、現代のミュージカルのような演劇であったことが想像できますね。


現在でも喜多流の謡本には、地謡が謡う部分に「同」と書いてありますし、どの流儀でも、最初に地謡が謡う部分を「初同(しょどう)」と言うのは、世阿弥時代の「同音」の名残なんです。

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(左:今回復曲された観世流謡本「泰山木」、右:金剛流謡本(旧版)「野守」)


今回は「同音」では演じられませんでしたが、このたび制作した謡本は同音部分がわかる珍しい謡本になっています。

泰山木表紙

(謡本「泰山木」)詳細はこちら

謡本を手に取って、世阿弥時代の能を想像してみませんか?
(増刷の予定はございませんので、数量限定の謡本となります)

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