すばらしい母親だった!:ぼくのお母さんが浮かばれますように。享年88歳ー母を偲んでーー。(記事のお金で納骨できますように!)「お母さんの詩(ぼくのお母さん)」
あれは、高校生になってからであった。毎朝、自転車で迎えに来る高校の同じクラスのK.K君と二人で、両親の看板の仕事を手伝うアルバイトをすることになった。母が運転、父が助手席、私たち二人は後部座席に座り看板を車の上に積んでバンを走らせた。作業は、2、3時間で終了した。
母は帰りの車の中で後部座席の私に千円札札8枚を渡した。私は、それをそのまま左どなりのK.K君へ渡した。彼は、とても喜んでいた。私も、とても嬉しかった。その日、夕食の頃、母親が私に訪ねたので、8千円全部K.K 君に渡したことを伝えると母は急に怒りはじめた。そんな短時間での仕事で、そんなことあるはずないと言い、4千円を返してもらうように電話をかけなさいと言った。私は、K.K君がとても喜んでいたことを思うと、とても電話をかける気にはなれず、「ほくは、お金はいらない」と答えた。
すると、今まで、子供の前で弱音ひとつ吐いたことのなかった母が、急に大声を上げて泣き出した。自分は下着も買わないで我慢していると嘆いていた。それを聞いて、テラスのほうへ目をやると、隅っこの影に、ボロボロに破れた穴だらけの母の下着が干してあった。それを見た私は、絶句した。夕飯の席に居た父も聞いていたのだったーーーその後、父がなんとかしてくれたようだったが、この想いでは、私の心に深く刻まれ残るものとなった。
*自分の過去の戒めのためのこの詩は、「お母さんの詩(ぼくのお母さん)」として残しました。
*当初、2008年、2009年、ひのでたろうの前身である裸心全通(らしんとおる)に注目してくださったミスターパートナー誌の井形慶子さんのラジオ番組で、休日のお昼時、渋谷の街中の放送局から、この詩は、朗読されました。
以下、その詩の2バージョンのうち、最初の公開された作品を載せます。
「お母さんの詩」(ぼくのお母さん)
ぼくの お母さん
働きもので
なんでも ぼくの
好きなものを 買ってくれた
ほしいものも
ぼくのお母さん
やさしかったーー
いつも ぼくの 味方だった
ぼくのお母さん
はずかしがりやさん
いつも下着は隠して干すんだ
ぼくの お母さん
ぼくが おおきくなって
家族で ごはんの時に
食べたかったのに
はしを出さなかったこと
覚えていたよ 覚えていたよ
必ず 必ず 覚えていてくれる
君が一度だけ ごはんの時に
食べたいものを お母さんに食べさせたこと
必ず 必ず 覚えてくれている
君が一度だけ お母さんのために
誰にもわからないように やっていたこともーー
ぼくのお母さんの秘密はね
その隠して干していた 下着だったんだ
ボロボロだったんだよ
はずかしいからじゃなかったんだよ
お母さんは ボロボロの下着を干していた
でも ぼくは ほしいものを
なんでも 買ってもらっていた
服も いつも ピカピカ だったよ
ぼくの お母さんはねーー
いつも 下着を画して 干すんだ
風の声が鳴っていた
あなたの家のお母さんの下着は
影に こっそりと 干されていませんか?
きっと いい お母さんですよ
わがまま な ぼくへ
」