いつものパターン
今日は職場で嫌なことがあった。
私は善意で行ったことが、お相手からすればそうは映らなかったらしい。
まぁ昔から私がよくやることだ。
またやっちゃったなぁ…。
と落ち込んだりそれを通り越してちょっと腹が立ったりした。
これもいつも通り。同じことの繰り返しだ。
まったく私は学ばないなぁ。
ただ私は帰り途中で少し考えた。
私のいつものパターンだとその後卑屈になって全て投げ出したくなる。
しかしそれだと結局いつものパターンでしかないのだと。
自分ではそれは私の求める姿ではないのだが、どうしてもそっちに自分を引っ張ってしまうのだ。
それは何故かというと、ある種の自己保身であり、自己陶酔であり、自己防衛でもあるのではないかと。
端的に言ってしまえば楽なのだ。
いつものパターン。卑屈になって落ち込んで絶望する。
絶望するというのは私の場合、何も考えないでただ重力に逆らわず落ちていけばいいだけなので楽なのだろう。
そうすれば現実に目を背けられる。ただうずくまって甘い自己憐憫に浸っていればいい。
たぶんそういうことなのだろう。
それがいつもの私。お決まりのパターン。
だが私は今はそうも言ってられないし言いたくない。
そんなことをして時間を棒に振るのは本意ではない、はずだ。
私には家族がいるし、私には楽しみたいこともあるし、私は幸せになりたいし、大事な人を幸せにしたい。
自己憐憫だの自己陶酔だのにかまけてる暇はない。
だったら私はいつものパターンから抜け出さなければならない。というか抜け出したい。
はて、ではここからどう抜け出すか。
どうしたものかなぁ、と頭を捻る時なのかもしれない。
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