雲の上、空の下

1.雲の下

熊田直樹

 もう二月も終わりに近づいているというのに、最低気温が零度を下回る日だった。雲は重く、暗く、いつもより空が低く感じる。今にも雪が降りそうな空だ。そんな空の下、高度経済成長期に敷かれただろう凸凹したアスファルトの上を、僕の気持ちとは対象的に、軽いスーツケースを弾ませながら最寄り駅の茗荷谷へと向かう。茗荷谷は学生時代から住んでいる場所だ。なぜ、ここに住んでいるかというと自分が通っていた大学まで電車で一本で行けるし、夜は他の街よりも静かでいい。そんな理由で住み始めたのだが、引っ越しが世界一苦手な僕は、学生時代に腰を据えた家賃十万円程度のアパートに未だに住んでいる。実家は決して裕福ではなかったが、勉強は人よりもできたため、世間で言う日本トップクラスの大学に進学し、その後普通に就職することができた。就職したのは外資系企業のため、大学時代に勉強するために借りた借金はなんとか返せそうだ。もちろん、日本トップクラスの大学といえど、友達の中には借金をしたが返せるほど給料がもらえる会社に就職できなかったため、そのまま大学院に行ってしまった人や、返せないと分かりながらも年々給料が減っていく会社に就職してしまった人、社会の矛盾や圧力に耐えられず死んでしまった人もいる。そんな社会人二年目の僕は入社して初めての海外出張のために、成田空港へ向かっていた。茗荷谷駅から六駅目の東京駅を降り、八重洲南口を目指す。東京メトロの改札口から東京駅八重洲南口まではやけに長い。おまけに、このときは駅構内のいたるところが工事中とあって、とても進みにくかった。成田空港までは、渋滞などで到着時間が遅くなることを危惧してバスは使わないで電車で行こうかと思ったが、電車の中がスーツケースを持った人で溢れ、居心地が悪いと思い、結局東京駅からバスで成田空港に向かった。高速バスは乗る人があふれ、飛行機に乗り遅れるといけないと思い事前に予約していった。東京駅八重洲南口につくと、薄暗く重い雲から、ぽつりぽつりと雨が降り始め、地面に跳ねる。そのワンバウンドした雨粒は乾いた地面へと再び接し、次は喉の乾きを潤し身体に染みるように、すうっと地面へ移る。道の色が徐々に空と一体化していくのが分かった。東京駅のバスのりばは八重洲南口にあって、金曜日の夜は飲み会で帰りが遅くなった社会人がごった返すのだが、平日の昼間とあって比較的閑散としている。成田空港行きの予約便は八番乗り場から出る予定だ。僕は、出発時刻の十分より少し前に乗り場に到着し、先に僕が乗る予定のバスと同じバスの乗り場へ来た人達の後ろへと並んだ。バス会社のスタッフが荷物の取り間違え防止のために荷札を配り、僕は自分で持ってきた小さなキャリーケースへそれをつけた。出発時刻の丁度十分前になると、成田空港行きのバスが乗り場へと到着した。予約の際に取得したQRコードが表示されたスマートフォンの画面を乗務員に見せ、車内に乗り込む。そして、乗務員に指定された席へと腰掛ける。僕がバスに乗り込んでから、バスへ何人かの人が乗り込んできたが、出発時刻になっても車内の席には空席が目立った。窓の外を見ると、予約していない外国の人が「なぜこのバスには乗れないのだ」と言っているように見え、バスの乗務員は混乱していた。一方、前の停車場に停まっていた予約不要のバスは一足先に成田空港へと出発したのである。時間通りに間違えなく乗れるように予約したはずなのに、予約していない人のほうが先に出発するのは、何だか複雑な気持ちであった。窓の外は本格的に雨が降り出したらしく、傘をさす人がぽつりぽつりと見られた。しかし、天気予報では降らないと言っていたからか、ほとんどの人は傘を持たず小走りに屋根を目指すか、もう諦めたように下を向き、ゆっくりと歩く人もいる。結局、定刻を五分遅れて出発した僕の乗るバスは、大きな身体を左右に揺らしながら東京駅をあとにする。バスの車内では聞き慣れたシートベルト着用のアナウンスが流れ、空港行きということもあり多言語で案内が行われていた。狭いシートの中に、身体を沈め上からダウンの上着をかけて、眠りについた。


〜続きは1週間後に〜

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