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1994年といえば

1994年といえば、クロアチアやユーゴスラビアが紛争のただ中にありました。第一次チェチェン紛争やルワンダ大虐殺が起こった年でもありました。

そんな時代に、41歳であった中島みゆきは、“ひまわり”SUNWARD”“を世に送りました。私たちは、それを反戦の歌と受け取ります。

私の中の父の血と 私の中の母の血と
どちらか選ばせるように 柵は伸びてゆく
たとえ どんな名前で呼ばれるときも
花は香り続けるだろう
たとえ どんな名前の人の庭でも
花は香り続けるだろう

あれから30年後の今年、コンサート会場でその歌を歌う彼女を見下ろしながら、「ひまわりとは、ウクライナの花でもあった」と思い出しました。

30年前にそれを歌っていた彼女の予見性と、30年経っても300年経っても相変わらずな私たちの進歩のなさのことを考えながら、その歌を聞いていました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。何らか反響をいただければ、次の記事への糧になります。