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ボーイスカウトで富士登山

※2023年7月にOFUSEにて配信されたコラムを編集し再掲したものです。


親愛なる友だちへ、ひねもです。

今年も富士山が開山した。

僕は小学生の頃に一度だけ富士山に登ったことがある。

子どもの頃に”ボーイスカウト”をやっていた事があり、夏季行事の一環としてチャレンジしたのです。

そして頂上まで辿り着いたのに”御来光”の意味がわからず笑われた…というエピソードを書きます。

なのでサブタイトルは
“御来光〜それは僕が見れなかった光〜”


まずボーイスカウトとは?

イギリス発祥。

ロバート・スティーヴンソン・スミス・ベーデン=パウエル男爵により1908年に発足され世界中に支部や団体がある。

スカウトはスカウト教育法の要であるスカウトの誓いと掟を学ぶ。これらは野外活動を中心とするプログラムを通じて人格・市民性・適合性・リーダーシップを習得するよう設計されている[7][8]。スカウト教育の実践には、各年代に適切な市民性と意思決定の強調と同様に、小グループで共に活動し経験を分かち合うことなどが含まれている。野外活動を行い自然への感謝の念を養うことは重要な要素である。重要な活動としてキャンプ、ウッドクラフト、応急処置、ハイキングなどがある。

Wikipedia
ボーイスカウトのモットーが刻まれた記章

今見てもかっこいい。

“そなえよつねに”って平仮名で書いてあるところが好きだ。

ちなみにロック関連だとビートルズのポールマッカートニーやローリングストーンズのキース・リチャーズ、ヴァン・ヘイレンのデヴィッド・リー・ロスはボーイスカウト出身だ。


皆さんが”ボーイスカウト”と聞いてイメージするのは街中での募金やキャンプや登山ではないだろうか?

これは全くその通りで、それらをメイン活動としつつ他にはゴミ拾いだったり、正月の餅つきを手伝ったり、フリーマーケットを開催したりと内容は幅広い。


本来の“スカウト”の意味は”斥候“である。

つまり戦線で偵察活動をする人のことを指す。

ベーデン・パウエル卿が軍人だったこともあり基本的には軍隊スタイルの訓練方法が多い。

手旗信号を習うし、ロープの早結び対決だったり、街中ですれ違った人の特徴を後から答えるチャレンジや、暗記対決…など偵察やスパイを連想させるような訓練も多い。

三本指での敬礼も必須。

スカウトの敬礼は、敬意、礼儀、親密を表す。
スカウト同志の挨拶や国旗掲揚の時などに使う。
姿勢を正しくして、スカウトサインと同じく、右手で三指を作り、人差指と中指の間を右目の右上と帽子のひさしとの交差点付近になるように、たなごころをやや左方に向け、ひじを肩の方向にほぼその高さと等しくして、頭を相手の目に注目する。
副帽の時や帽子をかぶっていないときは、額に人差指の先が触れるくらいにする。
手の上げ下ろしは、最短距離を通るようにし、外から大回りに回すようなことはしない。

参照:ボーイスカウト山口連盟

軍隊の規律や訓練を日常に落とし込んで青少年育成をしていると思っていただけたらほぼ合っている。

そんなボーイスカウト活動をやっていた。

イギリスから日本に広まったのがいつ頃かはわからないが、1990年代後半の僕が住む街には18団くらいまであった。

もちろん全てが常に存在しているわけではなく、人が少なくて成り立たない団は無くなる。

その場合、数字は繰り上がらない。

なので1団の次は3団で2団は今は無いなんてことは普通にある。

存続して運営されているのは8割くらいじゃないだろうか。


ちなみに”ボーイスカウト”と呼ばれるのは小学校6年生〜中学3年生の間のみ。


・小学校入学前〜小2は”ビーバースカウト”

・小3〜小5は”カブスカウト”

・小6〜中3の9月までが”ボーイスカウト”

・中3の9月〜高3までは”ベンチャースカウト”

・18歳以上〜”ローバースカウト”

と呼ばれる。

なので”ボーイスカウト”と呼ばれる期間は意外と短いのだ。


僕はビーバーから入ってボーイスカウトまでやって、ベンチャーに上がってすぐくらいに除隊した。なので活動期間は全部で9年くらいだろうか。

ちなみに年齢を重ね上の隊に移籍することは”上進”と呼ぶ。

“班”が最小単位の集まりで、班長と次長の他に数人が加わりだいたい6-8人くらいの班が形成される。

この班がまとまった状態を”隊”とし、

その隊が集まった最終組織を”団”と呼ぶ。




僕は所属班は”鷲”だった。

班名は伝統的に動物や鳥の名前が多い。


この班単位で行動することが基本になる。

週末は登山かゴミ拾い、赤い羽根の共同募金、緑の羽の共同募金などなどをして過ごした。

そして春休みや夏休みには長期の”野営”がある。

”アウトドア“や”キャンプ“という横文字より”野営”という言葉がしっくりくる。

エンターテイメントではなく青少年育成プログラムなので、基本的には辛く厳しい。

道具も昨今の軽量化や簡易性重視とは無縁の世界。

軍隊で使うような重たいテントを背負っていく。

ワンタッチの真逆。

複雑な工程がたくさんあるエレガントで素晴らしいテントだ。

グランドシートを敷いてポールを立てる。カバーもある。

ペグも何十本もいる。

炊事道具もキャンプ用ではない普通のやつ。

僕のいた団では”飯盒”なんてものは使わなかった。

鍋もフライパンもお玉もフライ返しも酷使されボロボロ。

それらを背負っていく。



この”野営”が子どもながらユウウツで。

夏休みに5泊6日とかやるわけです。


その間は風呂に入れない。

これが辛かった。

真夏に風呂に入れない日々が続くってなかなかキツい。

平成の子どもですから、普段は毎日入浴してる。


帰宅して自宅で風呂に入れるのが何より楽しみだった記憶がある。

食事も全て子ども達だけで用意する。

遊びのキャンプではないので火起こしから大変。

用意されたカマドはもちろんない。

まず土を掘って石や丸太を並べるカマド作りからスタートするわけです。

丸太や石も山の中から拾ってくる。

ちなみに長期野営の場合は“立ちかまど”と呼ばれる竹製のかまどを制作する。

長時間しゃがみ込んで調理をするのは、子どもでも腰に負担がかかり中々しんどいので立って作業ができるのは非常に有り難いのです。

これは制作に時間がかかり、最終日の撤収作業でのバラしも大変なので、僕のいた団では長期滞在時のみ作っていた。

かまど設置場所もテントの位置や風の向きを考慮して選ばなければならない。

そうしないと煙が自分に向かってきたり、火事になる恐れがある。

エンターテイメントの飯盒炊爨なら1束数百円で買った新品の薪や着火剤や炭があるだろう。

そういった近代的なアシスト無しの火起こしは何倍も大変なわけです。

薪はもちろん既製品なんて使えるわけがないので山の中で拾ってくる。

まず乾いた木の枝を見つけるのが大変で。

山というのは基本的になんだか湿ってるのです。

良い木の枝を探してくるのが難しい。

大概の場合は中が湿っているのです。

それらの中から細い枝だけをまず組んで小さな火を起こし、中くらいのに移し替えてまた安定するまで風を送る。

その間に近くに大きな枝や丸太を置いて乾かしておき最後に着火させるなどのテクニックがいる。

様々な段階があるのです。

大多数の人が勘違いしてしまいますが”燃えてれば火“なわけではないのです。

最初の杉の葉に着火した瞬間はそれこそ新聞紙くらい燃えますがそれは”火が着いた“だけ。

”火起こし“は安定した”火種“を作ることが目的。

これを作って維持するのが大変な作業だった。

焦ってやって消えてしまったらまた初めからやり直し。

火が作れないと何もできないためかなり重要な役目。

なので下っ端がやることはまず無くて、班長や次長の仕事だった。

設営場所に到着したら班のメンバーで手分けをしてテントを立てたりやらなんやらをやりつつ薪を拾い、石を拾い、カマドを作り、さらにはスコップでゴミ穴を掘り...などの全てが同時に進行するわけです。

さらに夜のキャンプファイヤーでは必ずエチュード(即興演劇)も披露しなくてはならず、合間に台本作りや練習もする。

これも班毎に披露して評価に繋がる。

他にもオリエンテーションとして川の向こうとこっちで手旗信号やったり、やることが目白押しなわけです。

ずーっと急いでる状態。




雑な作業をしてテントのポールが曲がってたら蹴飛ばされ、ロープが緩んでたら剥がされ、、、となかなか厳しかった。

寝袋で寝ているところを起こされて修復作業にあたったことも何度もある。

食料はホイッスルが鳴ったら配給地点に走って向かう。

遅れたらペナルティがあった。

とにかくなんでもかんでも班で競争するのだ。



そうして子ども達だけで渡された食材を調理し、食事して洗い物。

洗い物があの時代なので、へばりついた米とか煤とかは下っ端が素手で爪を使ってガシガシ洗うのです。スポンジを汚したら叱られる。

春休みの時なんてまだ3月だから水はかなり冷たい。真っ暗な森の中で1人で素手で洗い物をしてると泣きたくなった。まだ小学生だしね。

そして寝袋で寝る位置も年功序列で決まっていて入り口&出口の隙間風がきたり虫がくる場所は年少者が寝る。

年長者(と言っても14歳の少年ですが)は暖かい真ん中で寝れる。

朝の火起こしは夜よりも大変なので、拾った枝が湿らないように寝袋に入れて抱いて眠ったこともある。

とにかく山って常にじんわり湿ってんだ。なぜか。




朝になるとまずグランドシート(テントの床部分)を剥がして、木に渡したロープに引っ掛けて干す(干し方も決まっている)。

そしてテントの入り口&出口は捲って紐で縛る。


荷物も出していて良いものと片付いてなければいけないものが全て決まっていて、その通りにする。

これを朝6:00だったか6:30とかまでにやらなきゃいけない。

そして気をつけの姿勢で上官を待ってチェック開始。

誰かが寝坊してたり、物が所定の位置になかったらめちゃくちゃ怒られる。

点検が終了したら朝ごはんの準備。

そうやって1日が始まる。

その後もオリエンテーションがたくさんある。



サバイバルとまではいかないけど、なんとかして”生き抜く“って雰囲気だった。

安定してない火でご飯を炊くのも難しかった。

日常生活は電気炊飯器を使ってる。

いや、そもそもお母さんが炊いてくれていた。

拾った薪の残量を計算しながら調理をしないとカレーが仕上がる前に火が終わっちゃって薄ーいスープを啜る羽目になったこともある。

ご飯がカチカチ、またはベチョベチョなんてことも多々あった。

失敗したら自己責任。

楽しいというよりは過酷な野営生活に感じていた。





...やっと本題なのだけどボーイスカウト日本連盟が持ってる野営地があって。


日本ボーイスカウト連盟はかなり巨大な組織で、現在でも指導者だけで4万人以上いて、スカウトは6万人以上。

日本全国に2000を超える”団“があり、3500近い”隊“があるらしい。

基本的には拠点から近いところで活動するから東京の団が野営するのは埼玉の山とか。

通常は他の団とは交流はない。

例外として”ジャンボリー”というイベントになると日本中から集まって数万人でキャンプしたりもする。

フェスみたいな感じで。



僕がいた団は埼玉県の秩父方面とかが多かった。

しかし、その年は日本連盟が山梨県山中湖近くに大正時代から持っている伝統と歴史がある野営地でやることになった。

抽選だったか持ち回り制だったか…詳細は忘れてしまったが、とにかく夏にそこで野営することになったのです。

日本ボーイスカウト連盟の聖地なので大変名誉なことなのです。

指導者は普段は普通の会社員とかだから、お盆とかしか休めない。

キャンプは5泊6日もある。

そうなると日本中に2000を超える団があるのでチャンスは一握りなのです。

そうして普段でも過酷な野営に、さらに富士登山や山中湖でのカヌーも加わってかなりキツいスケジュールになったのです。

というわけで次回はいよいよ富士登山編!




ブラザー、シスター、そこに山があるのだ。

(続編はこちら)

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