ニューヨークの色(ソール・ライター)
※2023年7月にOFUSEにて配信されたコラムを編集し再掲したものです。
親愛なる友だちへ、ひねもです。
先日、ソール・ライター展に行ってきた。
ソール・ライター
ニューヨークの写真家。
1923年生まれ。
ペンシルバニア州出身。
1946年にニューヨークに移住。
“カラー写真のパイオニア”として知られているらしい。
予備知識無しで展示を観に行った。
元々は画家になりたかったがニューヨークで色んなアーティストと知り合って写真に目覚めたようだ。
当時(1940年代)は”カメラマン”という職業が珍しかったのか、雑誌の仕事を貰えるようになった。
とはいえ商用雑誌の撮影は食べていくために仕方なくやってた側面が強かったらしい。
ファッション誌の商用写真
と
アートとしての芸術写真
は全く違うジャンルということで評価を受けることもなく。
アート写真家たちがモノクロに固執してる中で、いち早くカラー写真の可能性に気付き取り入れていたことが後年に再評価されたらしい。
その後も雑誌のカメラマンとして活躍するが1980年代頭に早々と表舞台から姿を消し、基本的には無名の時代が長い。
生活も順風満帆とは言い難く、スタジオ閉鎖に追い込まれたり、家賃が払えなかったり税金が払えなくて、、、と常に逼迫していたとか。
友人に支援されながらの隠居生活状態だったが絵や写真はずっと作り続けた。
しかし作品をほとんど人に見せなかったそうで、死後に膨大な量が見つかったとか。
以上が簡単なプロフィール。
ニューヨークに来てから死ぬまでずっと同じ安アパートに暮らしていたらしい。
その場所がニューヨーク東10丁目。
ソール・ライターは安い賃料の住処を求めて同じエリアにやってきたアーティスト達と交流を持った。
あの”4分33秒”という何も演奏しない楽曲を作ったので有名な音楽家ジョン・ケージであるとか
”ホワイト・ペインティング”というただ真っ白に塗っただけの絵を作ったロバート・ラウシェンバーグだとか
才能開花前のアンディ・ウォーホルだとか。
この写真はソール・ライター撮影。あの“アンディ・ウォーホル”になる前のママと仲良しのそこらにいる若者といった雰囲気の貴重な写真だ。
この展示会は会場内すべての作品が写真撮影可能だった。
そのため
写真を写真に撮る
または
写真を見ている私を写真に撮る
などといった摩訶不思議な光景がそこら中にあった。
話を戻す。
ソール・ライターはニューヨーク東10丁目でそういった尖りまくった新進気鋭のアーティストたちと仲良くなった。
アメリカに行ったことがないので場所の雰囲気や距離感はわからない。
例えばニューヨークのタイムズスクエアが東京の銀座や渋谷みたいな場所だとしたら、東10丁目は下北沢や高円寺辺りに住んでるって感じなのだろうか。
アメリカは広いだろうからニューヨーク州と一言に言っても地区によって雰囲気は違うんだろうなとは想像はできる。
僕の勝手な”東10丁目”のイメージは1940年代のニューヨークで家賃が安くてアーティストに好まれたということで、都心までアクセスは良いがちょっと離れた場所なのかなと思った。
思えばロック関係でもラモーンズが暮らしてたクイーンズがどんな場所なのかとか、ライブハウスのCBGBがどういうエリアにあるのかとかわからない。。
いつか行ってみたい。
東10丁目エリアをこよなく愛したソール・ライターさん。
いつもカメラをぶら下げて散歩していたとか。
初期の写真は1940-1950年代のニューヨークの雰囲気が伝わってくるようで良かった。
しかし僕は美術鑑賞能力が低く写真の良し悪しまではよくわからない。
写真を見てカッコいいとか良いとは感じれる。
だがテクニックや構図がどうのこうのって話しになるとお手上げだ。
絵に関しても漠然と良いなあとは思うことはある。
しかし構図や筆がとか、◯◯派の技だとか◯◯主義による◯◯要素のなんとかで〜とかは全くわからない。
なのでソール・ライターさんの絵(リンクから見れます)は抽象的なタイプの作品が多く、良いと言われたら良い気もする。
だが、オシャレだとは思うがなんだかよくわからないな...というのが正直な感想。
こういった抽象的な絵を見て
◯◯派の◯◯主義で◯◯の理論に基づいていて◯◯の印象を受け社会に◯◯というメッセージを投げかけていることが見てとれる
と、わかる人は凄い。
作品の隣に説明書きがあればそういうものなのかと思って見れる。
だが絵だけを見てそこまではわからない。
でも音楽をたくさん聴いてると、初めて聴いたバンドでもこのギタリストはジミー・ペイジが好きでニール・ヤングの匂いもするが最初はカントリーやブルーグラスをやってたんだろうなとか、ベースはレッチリ好きでモータウン系も通ってるか?とか演奏からなんとなくわかったりする。
なのできっと絵をいっぱい見てたらわかってくるんだろう。
ソール・ライターさんは日本の浮世絵が好きだったらしく写真にその影響があるのはわかった。
歌川広重や葛飾北斎や俵屋宗達などの雰囲気を感じた。
場面の切り取り方や人の写し方。
全部をきれいに枠の中に収めてない感じ。
何か越しに見てるのが斬新で面白いって事なのだろう。
あとは悪天候の方が好きだったとかで雨や雪や曇りの写真がかなり多い。
質感が揺らいでる方がストリート感があって良いんだろうな。
この感覚はなんとなくわかる。
僕も音楽で全部をバッチリにするより歌詞が字余りになるとか、音程外すとかそうやってアウトにさせたい気持ちあるし。
その方がユニークになるというか。
キャリアに浮き沈みがあり有名な作品も無くでコレが凄い!ってわかりやすい功績は伝えにくいんだけど数多の作品を見てると
やるなあソール・ライター!!
という気持ちになる。
アーティストとして脚光を浴びるのはなんと82歳で“Early Color”という写真集を出してからという遅咲き中の遅咲き。
だけど10代の頃からずっと写真を撮り、絵を描くという行為を続けていた。
彼の中でそれはアートを創作しているというよりライフワークに近い。
老人になってから偶然にスポットライトを浴びただけで、意図してなかったはず。
注目されたい性格だったならば若い時からもっと宣伝活動していただろうし。
“俺は絵を描いて写真が撮れればそれで良いんだ”
ってスタンスがたまらない。
おそらく発表するのが目的じゃなかっただろう。
なので展示作品のタイトルは無題が多くて。
そこも良かった。
自分のやりたいことやスタイルがあって評価されなくてもそれを曲げないという。
ずっと安アパートに暮らし、家の近所ばかりを写真に撮っている。
異名である
”カラー写真のパイオニア”
も1940-1950年代当時はお金が無く現像できなくてアパートに置いてあったフィルムが1990年代に入って資金提供を受けてやっと日の目を浴びたとか。
それによって
ソール・ライターのカラー写真は凄いぞ!
って数十年越しで再評価された。
まだ未発表の写真がアパートに何万枚(!!)もあるらしく、今回の展示の数百枚はほんの一部らしい。
すごいなあ。
僕はこういう人物がたまらなく好きだ。
頑固&偏屈なところがたまらない。
インタビューも嫌いでせっかく記事が載るチャンスがあっても作品について全然語らないので失敗に終わったとか。
なんだか同じニューヨーク繋がりでルー・リードに似た匂いも感じる。
そういう街なんだろうな。
いつか行ってみたい。
普通の人が見過ごしたり気に留めない何気ない瞬間を切り取ってアートに出来るのってこういう人なんだろうなって思う。
展示を見て創作へのパッションやスタンスとか不屈の精神をたくさん学びました。
最後に僕が おっ! と思った言葉を。
“私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは、馴染み深い場所で起こる。なにも、世界の裏側まで行く必要はないのだ”
いやーかっこいい。
音楽も世界中を旅しました系の人が優れてたりするわけじゃないもんな。
宇宙に行ったことなくてもジョージ・ルーカス監督のスターウォーズは面白いし。
ブラザー&シスター、僕もやり続けようと思ったよ。
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