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未来の自分へ

これは、読んでもらうとかではなく、
自分のために書いておく。
最近、仕事が大きくなくなって、0を感じている。
なんとなく、20代のなにもなかった自分も思い出す。
でも、今は少し違う。

もちろん仕事がなくなった時は、気絶しそうになった(笑
フリーランスなので、何度も経験してても、やっぱりショックで怖い。

それでも、なくなった仕事の内容のことを思うと、
次に行く時期がきたのだろうと思わずにはいられない。
自分はずいぶん変わったと思う。

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子供の頃、我が強いのでわがままではあったけど、
日常では手のかからない良い子だった、(と思う)
なんでも自分でできるね〜と言われて嬉しいし
自分でもやれるのが嬉しかった。
「自分でできるもん」
それが誇らしかった。
でもいつのころからか・・・
「手のかからない子」で「役に立つ子」になろうとしてたし
自分は特別だって見てもらいたかった・・・・母に。
母は、本当に忙しかったから。
手伝いたかったし、休んでほしかったから。
いつのまにか・・・それが癖になった。
そして「母の時間を奪う迷惑になることを恐れた」
なにしろ大好きだったから。

うちの両親はまい日ケンカしていた。(笑
ささいなことで、どなってた。
兄は昔作文で「うちの両親はいつもけんかしています」と書いて
母に怒られたらしいが、なんで怒られたかわからなかったらしい(笑
だって、普通だったから。(笑)
よその家ではケンカしないのを知ってびっくりしたそうだ 。
ただ、両親の名誉のために言うけど、
二人とも、とくに私たちにきつくはなかったし、
やさしかった。
ケンカしてたけど、母は父を尊敬してたと思う
ありがとうもよく言ってた。
母は、しっかり家事も内職もこなし
父は、病気もあったのに、家族のために勤め上げた。
両親は別に憎み合っても、離婚の危機でもなかったと思う。
定年の後には、ケンカしながら二人で寄席や旅行にいってたし
昭和の時代にはそんな夫婦はきっと、たくさんいたのだろう。

そして、私の役目は、仲介役でした。
父は女の子のわたしには怒らなかったので。
その役は当時は、いやではなかったと思う、
自分が役に立ってるようで。


それでも、気がつくと大人になって本当にちょっと前まで
「人が怒る」とか、「争う」ことが、自分と関係なくても
身体中がこわばって汗がでそうになるほどいやだった。
ただただ、怒りとかイライラのエネルギーを感じるだけで
こわばってくる。
それで、つい、人の感情を気にするようになっていくと
「自分が手のかからない役に立つ子」であろうとしていく
ループでした。

フリーランスになって、仕事も増えたころ、
一気に仕事がなくなることがありました。
その時は本当にちょっと倒れて、
医者にこそ行かなかったけれど、
本当に力も入らず、しばらくずっと寝てて
なにもできなくなった時期がありました。

なにがそんなにショックだったかと言うと、
24時間365日働いてたわたしは、仕事があることに
自分の存在意味をみようとしてたと思う。
こんなに必要とされて役に立っている自分。
こんなに稼いでいる自分。
仕事がなくなった時、自分になにもなくなった気がしました。

「自分でできるもん」が壊れた時かもしれません。
一年くらいは、幽霊みたいな精神状態だったかもしれないです。
そのあと、心理やスピリチャルも勉強して
それから、できることはなんでもやって仕事にしないと!
という気合いでワークショップやお芝居の再開などもはじめて
今の仕事につながっています。


ただ・・・そんな強迫観念はないけど、まだ
ふとしたときに「人に迷惑かけたんじゃないか?」
「こう言うことを聞いてよかったのか?迷惑だった?」ということが
気になる自分がいて、微笑んでしまいます。

今、本当にあの倒れた時より、
状況は悪い気がしますが、
不安はあっても、自分の存在を否定したりはしない。
昔のわたしなら、情けないような人への頼り方もしてたりします。
「カッコ悪いな〜」と思う(笑)
そんな自分に、いいよって言えます。

だいぶかわったなあ・・・と最近よくおもいます。

今、どうしてこの状況なのかは、
先にならないとわからないけど、
きっと、あの倒れた時とおなじように
今大事に育ててきたもの、
一生懸命育てます。

これを、未来の自分が読んだらどう思うかな?ということを
想像して、書いて見ました。
前に倒れたときのこと、今思うときゅんとするけど、
笑って受け止められる。
今回も、未来の自分が笑ってると想像しながら
書いてみました。





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