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「僕が性別“ゼロ”になった理由」を見て

久方ぶりの記事になりますが、今まで書いたことのない性的マイノリティという難しいテーマということもあり、文体はどうしようか、この言い方で大丈夫なのか…いつも以上に考え込んでしまいました。
柄にもなく堅い感じになっちゃいましたが、読んでいただけると幸いです。




土曜深夜。
適当にチャンネル回してたら興味深い番組が目に入った。
「僕が性別“ゼロ”になった理由」
いわゆる性同一性障害と診断された小林空雅さんに密着したドキュメンタリー番組だった。
映画も控えていて、今回放送されたものは映画の短縮版みたいなもののようだ。

小林さんは18歳のときに乳房を、20歳で子宮と卵巣を取り除き、晴れて男性となった。
しかし徐々に男性であることにも違和感を抱いていき、やがて男性でも女性でもない新たな自分を見つけた。

最後に小林さんは「今の自分は好きか」と聞かれた際、
「よくやったな自分と思う」
「自分のことが大好き」
と答えていたのがすごく印象的で微笑ましかった。
そもそも顔と名前を出して取材に応えるという時点で相当な勇気が必要である。
なんと強い心だろう。



また、この番組では小林さんは2人の人物のもとを訪ねる。
まずは78歳で性別適合手術を受け、男性から女性となった八代みゆきさん。
幼少期から自分の性に違和感を感じ続けていたという。
性同一性障害という言葉もなかった戦争の時代、非常に悩まれたことは想像に難くない。

周囲の理解を得るというのはなかなか難しいもので、八代さんの同窓会の場面は心が痛んだ。
「なんで男から女になったんだ」
「これは社会問題」
という人もいたり。
もちろん酒が入ってるというのもあると思うが…まぁ普段心の内で思ってるからこそ出てきてしまった言葉だろうしなぁ…

「なんで今さらそんなこと言うんだ」
「それもわかって八代さんと付き合ってんじゃないか」
と言っていた人たちもいたのが救いではある。



続いて、男性でも女性でもないXジェンダーという立場の中島潤さん。
性自認がどちらか定まっていない、わからない状態にある人をクエスチョニングというが、Xジェンダーの方は「自分は男性でも女性でもない」「男性でも女性でもある」「中性である」といった風に自分の状態が認識できているという点で異なる。
あえてクエスチョニングという呼称を用いる方もいるそうなのでそこは注意。

中島さんは言う。
「枠組みを決めると『枠に入ってる人』以外の人は『そうじゃない人』になっちゃう」
ここ数年メディアでもLGBTという言葉がよく使われているが、こうやってカテゴライズすることもなくなるのが一番なのだと強く思った。
といってもワイドショー的な番組を見てると、街頭インタビューで「LGBTという言葉を知っているか?」という質問に対して「わからない」と答える人がほとんど。
性の多様性に関して理解を深めようとする動きは広がりつつあるが、まだまだ時間がかかりそうだ。



この手の番組はちょくちょく見るし、そこらの人よりは理解してるつもりだったがまだまだ知らないことばかりだった。
僕は当事者でもないし、こういった人たちを支援する団体に所属してるわけでもないから本当の本当に理解するというのは不可能かもしれない。
そもそも世の中から完全に偏見がなくなるというのは限りなく不可能に近い。
僕も一切の差別も偏見もすることなく生きてきたわけではないし。

が、理解を深めていくことはできる。
今はなんでも調べてなんでも知ることができる。
もちろん正しい情報と誤った情報の取捨選択はしっかり行う必要があるが。それぞれがほんの少しずつでも理解を深めていけばそのぶん誰もが暮らしやすい世の中になるんじゃないかと思いつつ、そろそろ記事を締めくくる。

大事なのは「自分は自分である」ということ。
とても考えさせられる番組だった。



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