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倒れている自転車を立てないで

街中で倒れている自転車をたてることを善行として実行している人を時たま見かけるが、私はこれはやらない方が良いのではないか、と思う。

自転車が倒れているということは、その場所(その日)に何らかの原因があることを考えるべきである。例えば、風が強い日だとか、自転車が密集していて誰かが自転車を停めたり出したりする時にドミノ式で倒れてしまうとか、土地の構造上歩行者がどうしてもぶつかってしまいやすい、とか。

その原因を排除せず自転車を起こすことは、また自転車が倒れる可能性を作り出す行為に他ならない。自転車というのは、横になっていることによってダメージを受けるのではなく、倒れるときの衝撃によってダメージを受けるのである。したがって横に倒れている時間が長い事は自転車にとって何ら問題のないことである。しかしそれが一度起こされてしまうと、また倒れて、またダメージを受ける可能性が生まれるのである。

(何なら風の強い日や自転車が倒れそうな場所に停車するときは最初から倒しておけば良いのではないかとすら思う)

良きことと思ってしていることが、また自転車を転倒への恐怖の世界へと引き戻してしまうのだ(は?)。

さて、なぜ人は自転車を起こすのか。そんなどうでもいいことを考えていたらこの答えは自転車を「あるべき姿」に戻してやろうという心理にあるのではないか、という考えがふと浮かんできた。

では、人々はこの「あるべき姿」をどこから学習するのだろうか?何が「あるべき姿」を規定しているのだろうか?

「あるべき姿」を規定しているものの解明が意外と差別等の社会問題の解決の手助けとなるかもしれない。

みだりに問いを提示して自分の答えを述べないというのはこういうプラットフォームにおいてはあまり望まれないように思うが、わたしには妥当性のありそうな答えが思いつかないので、皆様の意見を拝聴したく思う。

【人々が持つ「あるべき姿」の実像を規定するものは何か】


くそどうでもいいことなので、いちツイートで済ませようと思っていたら少し文字数が多かったのでnoteに書きました。最後まで読んでくださってありがとうございます。


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