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【連続小説】ジンとセレン #6/10 3600文字

いよいよセレンが目の手術を受けるため、魔界に旅立つ日がやってきた。
正確には、本日セレンの住まいから暁の宮へ向かい、そこで一晩過ごした後、翌日昼過ぎの連絡船で魔界に向かう段取りになっている。
この日のジンは、天馬二頭立ての馬車に乗ってマーカライト候別邸を訪れた。セレンを迎えに来たのだ。
「ジン様、わざわざのお越し、ありがとうございます」
セレンは変わらぬ美しい姿でジンを出迎えた。しかし、そこにはマーカライト候の姿は見当たらない。
(今日は必ずお顔を出されるとの話だったが・・・)
「セレンさん。マーカライト侯爵様はご不在なのですか?」
ジンの問いに、セレンは少し顔を曇らせた。
「はい。一昨日急に出陣要請があったとかで、残念ながら今はそちらに」
聞けば、オニキス国は、去年アメジスト国に奪われた交通の要衝を奪い返すべく軍勢を差し向けて攻撃を仕掛けているのだが、敵の激しい抵抗に遭って膠着状態にあるという。
「そこで、業を煮やした国王陛下が追加派兵を決定されたようで、それを受けて侯爵様も」
「そうでしたか」
ジンは努めて冷静に振舞ったが、彼の脳裏にはある懸念が広がっていた。
アメジスト国には、美しい死神と評される天界最強の武人がいるのだ。

(ノエル。あいつに、別の命令が下っているといいのだが・・・)


マーカライト侯率いる部隊が戦場に到着したのは、その日の夜明け前の事だった。
急な派兵だった故、彼は集められるだけの兵を集め、慌しく兵装を整えた後、夜通しの行軍でここまでやってきたのだ。
「これは、マーカライト候。あなたまで駆り出されたのですか」
早暁の時間帯に関わらず、声を掛けてきた老将がいた。
「そのお声は、サフラ老伯ではありませんか。まさかあなたがここにいらっしゃるとは」
マーカライト侯は慌しく下馬すると、サフラ老伯の方へ歩み寄った。
サフラ老伯は家の格式では劣るものの、オニキス国内では歴戦の猛者として名を馳せた武人である。
「実は、私も突然出陣命令を頂いたクチなのです。急なことであまり兵を集められませんでしたが、連れて来れるだけ連れてきた次第でしてな」
早暁の薄明かりの中、皺深い老伯の顔に苦笑いが浮かんでいる様子が伺える。
「なるほど。事情は私と変わらないのですね」
マーカライト侯は大きく頷いた。
「それで、老伯。戦況は今、どのような状態でしょうか」
「昨夜の軍議で聞いたところでは、我が軍の攻勢により敵はあの砦に追い詰められ、そこに立て籠って最後の抵抗を見せているようです」
と、サフラ老伯は小高い丘の上にある小さな砦を指し示した。
「我が軍は砦をぐるりと取り囲んで蟻の子一匹通さぬ構えで、昨日の夕刻、敵に対し降伏を促す使者を送ったとの由。本日午後3時の回答期限までに降伏の意思が示されなければ、総攻撃に転じるとのことでした」
「そうですか。窮地に追いやられた敵に対し、我攻めに攻めるのは些か危険な気がしますが」
マーカライト候が懸念を示すと、
「あなたの仰ることは御尤もですが、残念ながらクリスト公たってのご希望なので」
サフラ老伯は肩を竦めた。
クリスト公とはオニキス王の同母弟で、此度の作戦の総司令官だ。
「それに、クリスト公に置かれましては、今回の追加派兵がお気に召さない御様子でしてな」
「?それは、何故でしょうか」
「どうやら、戦況が思わしくないと判断された陛下が、クリスト公のご意向を確認せずに追加派兵のご命令を下されたようなのです」
「えっ」
「クリスト公は、それですっかりへそを曲げてしまわれた様子で、昨日の軍議の席で追加召集された者は使わない、自らの兵のみであの砦を落として見せると言い出す始末でして」
「・・・」
サフラ老伯の言葉に、マーカライト候は絶句した。
「いずれにせよ、本日正午の軍議の席で最終決定するとの由。そこでクリスト公のお心が変わって、もっとましな案に落ち着くことを祈るばかりです」
「そうですか・・・わかりました」
マーカライト候は複雑な面持ちで頷いた。

サフラ老伯と別れたマーカライト候は、兵達に食事と休息を取らせた。
皆、夜通しの行軍で疲れ切っていたからだ。
(・・・まったく・・・)
マーカライト候は干し肉を齧りながら、苦々しい表情を見せた。

(このようなくだらないことで、セレンに淋しい思いをさせるとは)


同じ日の朝9時頃。
天界南部・ターコイズ国を攻略中のアメジスト軍の陣営に、本国より伝令が派遣された。
「これは・・・ラーマからか」
伝令から命令書を受け取ったのは、長い黒髪に穏やかなルビーの瞳をした美しい少年だ。彼は、美しい死神、天界最強の武人と称されるノエルそのひとである。
「はい。王太子殿下よりノエル様に直接お渡しするようにと」
伝令の兵士は片膝をつき、頭を下げたまま回答した。
「・・・」
ノエルは無表情のまま命令書に目を通すと、
「ここにはラング伯を助け、籠城中の兵を安全に撤退させよとのみ書いてあるが、相違ないか」
静かな声音で伝令に念押しした。
「はっ、王太子殿下におかれましては、あの砦を失うのは口惜しいことなれど、今の段階では追加の派兵もままならず、何よりもラング伯のお生命には替えられぬとのお言葉でございました」
「・・・そうか。ラーマには委細承知したと伝えてくれ」
「はっ」

慌しく伝令が退出した後、ノエルは一度目を閉じると、こう呟いた。

「ラーマ。あなたがそう言うなら、そうしよう」


ジンとセレンを乗せた馬車が暁の宮に到着したのは、午後3時過ぎの事だった。
「セレンさん、着きましたよ」
ジンは、セレンの手を取り、背中を支えて慎重に馬車から下ろした。
「思ったより時間がかかってしまいましたが、お疲れになりませんでしたか?」
「はい、大丈夫です」
セレンは気丈に応えたが、慣れない長時間移動は流石に堪えた様子だ。
「セレンさん。お部屋を用意してありますので、夕食のお時間までそちらでお休み下さい」
「ありがとうございます。では、そうさせて頂きます」
ジンは再びセレンの手を取り、背中を優しく押してゆっくりと歩き始めた。
若い神官が、見た目がそっくりなこの二人が寄り添って歩く姿を、茫然と見送っている。


同じ頃。
砦を取り囲むオニキス軍は総攻撃に向けて兵を整えつつあった。
(砦からの回答は、ないままか)
マーカライト候は砦の様子を見やりながら、ひとつ息をついた。
正午に行われた軍議では、歴戦の諸侯が揃って我攻めに懸念を示したため、さしものクリスト公も強硬策を引っ込めざるを得なくなった。その結果、まずは魔法による攻撃を展開し、敵の戦力を十分に削いだ後で兵を送り込むという、極めてオーソドックスな戦法が取られることになった。
但し、追加派兵された軍勢については、後方で不測の事態に備えて待機の方針が変更されることはなかった。
つまりは、マーカライト候の部隊は、全くの蚊帳の外である。

「伝令、伝令。魔法部隊、呪文詠唱開始」
「伝令、伝令。魔法部隊、15時30分に攻撃開始します」

マーカライト候は、部隊の兵に向け下知を飛ばした。

「皆、気を引き締め、不測の事態に供えよ」

そして、同じ頃。
オニキス軍に取り囲まれている砦の出窓から、ひとりの少年が侵入した。武人の平服姿で防具は何も身につけず、ただ腰に細身の剣を下げただけの身軽さだ。
ノエルである。
「これは、ノエル様っ!」
その姿を認めたラング伯は、彼の前に跪いた。
「ラング伯、遅くなって済まない。王太子殿下の命により、そなたたちを退避させる」
ノエルの言葉に、一同は、おおっ、と声を上げた。
(王太子殿下が、我々のために最高の武人、ノエル様を遣わして下さった・・・!)
その事実に感激し、涙を流す者さえいた。
ノエルはその様子に特に心を動かされた様子は見せず、淡々と言葉を繋いでいく。
「私と綺羅で退路を切り開くが、退却の備えはそなたたちに任せたい。陣形その他はラング伯に一任する」
「畏まりました」
ラング伯は顔を紅潮させ、深く頭を垂れた。
「見たところ、敵の魔法部隊の攻撃が当方に到達するまで残り15分と言ったところだ」
「!」
その言葉を耳にした一同の顔に緊張が走った。
「皆、それまでに撤退の準備を完了し、体制を整えよ。敵の魔法発動を合図に、撤退を開始する」
「はっ!」
「では、ラング伯。後のことは頼む」
「はっ、お任せを」
ノエルはラング伯の回答を待たずに、ひらりと出窓から身体を躍らせた。
向かった先は、砦の正門前である。


「ノエル様、どっちに道を作るつもりなの?」
ノエルの剣の鞘から、赤い陽炎に身を包んだ少女の姿の精霊が顔を出した。
綺羅である。
「そうだな。特に決めてはいないが」
ノエルは敵の魔法部隊が呪文で全体の魔力をフルパワーに引き上げる様をみやりつつ、ちらりと周囲を見渡した。
「ねえ、あそこ、偉い人の陣じゃない?」
綺羅が指差したのは、総司令クリスト公の本陣だ。
「ふむ」
ノエルの赤い瞳が、悪戯な笑みを浮かべた。

「では、あの陣の上に退路を作ろうか」

<ジンとセレン #7 に続く>


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