熊野。

40分間、舞台上でずっと姿勢良く立っていたから、これを機に超絶猫背を少しはマシにできるかもしれない。頑張りたい!(何の話?)

「熊野」観に来てくださった方、気にかけてくださった方、どうもありがとうございました!素敵な感想も頂けて、本当に有り難かったです。

役者に専念できるのも久しぶりだったし、とてもありがたく贅沢な環境の中でお芝居させてもらったので、色々考えたことは形に残しておきたいなあと。ただ、すごく「感覚」優位でやっていたので、言語化しようのないことがすごく多くて。結果、覚書というか、思考の破片をそのまま載せてみようと思います。(人からもらった言葉も混じっています)


メソッドが確立されているわけじゃない
しかし成立している「らしさ」

私は何を汲み取ろうとしていたのか
そこにはまだ出来上がっていないもの、そこにいる誰もその正体を掴めていないものなのに、
明確でない、がしかし確かにある「基準」を探していた

言葉の持つ力、情報量、情景
私の感情は余計な情報になる?でも全くもって不要というわけではない
そのバランス

思想、作者本人の
それを上演という形で立ち上げて人に届けるということ、その危険性と責任
と、距離感

人形みたい?

感情でなく場をイメージすること、空間、情景
想起したイメージを持ち続けること
途切れてもいいけど、イメージしなくてもいいけど
その持続、揺らぎも含めて

ズレ
何もかも、ズレ
嘘に嘘を重ねること

全てが桜のよう

人間の気持ち悪さ、醜さ、それを求めてしまう欲望

言語化しようのない、メソッド化しようのない感覚の話・正解のない話
しかしだからこそ考えることを辞められず
考えるのは、言語化を諦めないということになる場合もあるだろう

ストイックであれば良いというわけではない
頑張り続けるという美徳、の弊害
慣れと緊張の間

役と自我のバランス
演出家の仕事と俳優の仕事

身体の在り方
体に変な力が入る、普段いかに体はふらふらしているのか

役が俳優に染み込んでいく、馴染んでいく
空間が立ち上がっていく
観客とイメージの共有が起きる
でもそのイメージは一人一人違う

外の風を浴びながら演じた
スカートが揺れる、髪がなびく
その記憶と共に演じる


最後に、
授業取ってるわけじゃないのに参加してくれたみんな、
照明などサポートしてくれた寺内さん、
そして、我らが松田先生に
最大の感謝を込めて!

楽しかったな〜。

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