「映身を上演する」プロジェクト制作日記⑥

先日、上演の幕を閉じることができました!

完全な状態で上演することができず悔しいですが、まずは上演を行えたこと、その幸せを噛みしめています。そして必ず、何らかの形で全てのプログラムを上演しようと決めているので!タダでは転びません。

というわけで一旦にはなりますが、参加してくれたみんな、観に来る事を選んでくれた皆さん、観に来ないという決断をしてくれた方、この企画を気にかけてくれたみなさま、本当にありがとうございました。


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私が作品づくりをする時にいつも持っていたこだわりがあって、それは、

「観客にどう見えるか?どう受け取ってもらいたいか?」を常に意識し続けること。(実際にどう受け取るかはもちろんお客さんの自由だけれど)

どうやら私の中には、「作品は創り手の方じゃなくて、受け取り手の方を向いていてほしい」という願いがあるらしく。


でも今回あえて、そういうこだわりを手放してみました。

受け取り手のためじゃない、創り手の為にある表現に、身を委ねてみることにしました。

それを見たお客様に生まれる快/不快、そのどちらも「触発」で、その人にとっての良い/悪いを教えてくれるものだから。

そもそも、「面白い」って何だっけ?とも思い始めて。

人によって「面白い」は違うし、そもそも「面白い」こと=絶対正義ではないから。じゃあ「つまらない」って何だろう、とか、ぐるぐる答えのない世界にまた入っている最中なんですが、それは置いといて。


今回のプロジェクトのコンセプトである「映身とは何か?」ということを考えるにあたって、「映身生のありのままを引き出すこと」を、第一に置いてみました。

だから極端な話、「面白い」という軸だけで物事を見れば、上演そのものよりも、稽古~上演~終演後のやり取りを追ったドキュメンタリーの方がよっぽど面白かったんじゃないかっていう。(もしもずっとカメラが回っていたら、その面白さも少しずつ違うものになっていくのだろうけど)


1週間、「表現者」たちの創作を一番近くで見ていて、私もその中にいて、

「表現すること」についての認識が大きく変わったような心地でいます。


正直まだ上手く言葉にはまとまらないのだけど、

表現することって、きっと生きることと同じなのだと思う。


別に演じなくても、踊らなくても、撮らなくても、

誰かと話すこと、話を聞くこと、食べるものを選ぶこと、洋服をコーディネートすること、メイクすること、歩くこと、止まること、

私たちは息をするように、表現をしている。

表現とは心の栄養で、人生の豊かさなのかな、と。

「表現をしたい」、「誰かに伝えたい」という衝動は、「生きたい」って欲望なのかもしれない。


そんなことを、感じていました。


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今回、参加者として集まってくれた映身生たちは、みんなモノづくりが大好きで、驚いてしまうくらいまっすぐに創作に向き合っていて、そうか創作って、表現って、最上級の遊びなのだと、改めて気が付いたのだけど。

そんな「遊び」が、人生を彩って、豊かにしてくれる。

そういう時間を積み重ねていたいなあと思います。

「楽しいね!」って言ってくれる人たちと共に。


今回を通して、新しい発見がたくさんあって、またいっぱい分からないことが増えて、それがとても、豊かです。

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