anime回論 「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」に学ぶ恋愛
多くの恋愛アニメでは、誠実者が勝つようになっている。ニセコイしかり、五等分の花嫁しかり、彼女お借りしますしかりだ。
だがそれは、「かぐや様は告らせたい」と「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」によって崩れた。
いかに策にはめるか、どうすれば出し抜けるかなど、ヒロインたちはロマンスすら捏造する。
とはいえ、これは現実的な話でもあるだろう。ハニーワークスの「ヒロイン育成計画」という曲に「気持ちなら負けないなんてみんな同じこと思ってて、そこからの勇気と押しが大事なんです、聞いてる」という歌詞があるが」まさにその通りといえる。
「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」は、私たちに、好きな人と付き合いたい、結婚したいなら手段を選ぶな。というメッセージを送っているのかもしれない。
が、そのメッセージだけでは、「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」を知ったとは言えないだろう。
このアニメは、もう一つ重要なことを私たちに示しているのかもしれない。
それは、権謀術策であったとしても、一途であることの大切さだろう。
一途は当然と思う人も、ギクっとなった人もいるだろうが、そもそも「かぐや様は告らせたい」や「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」の魅力は、非現実的なラブコメではなく、現実に近い、恋愛の駆け引きを描いているところにある。
であれば、ヒロインたちは青春ストーリーを作ることではなく、個人の勝利を目指していることになる。これは、幼なじみが絶対に負けないラブコメの1話、先輩と丸 末晴(まる すえはる)の二人に手を出していた可知 白草を見れば明らかだろう。
主人公の存在価値は、ヒロインたちの勝利条件の一つの材料に過ぎない。
最悪、ヒロインたちは主人公を含めた彼氏候補のポートフォリオを作成し、順番にアタックしていくこともできるアニメ世界感のはずだ。
これは実際に、水野愛也先生の書かれた本「LOVE理論」にも、多くの異性と付き合えということが大切と書かれている。いわば、リスクの分散である。
だが、これまで現実に忠実だった「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」は、3話、可知 白草と丸 末晴の関係修復時に、この恋愛対象の分散戦略だけを、破棄することなった。
このことから、「幼なじみが絶対に負けないラブコメ」は、現状、現実的な価値観の中に、一つの理想論を持っていることになる。
だからこそ、どれほど嘘や策あったとしても、ストーリーがどこかロマンティックに見えるのかもしれない。
noteでは、よく見るアニメ考察ではなく、社会的、経済的、哲学的といった「学」の視点から、アニメ論を書いています。マガジンとして投稿しているので、登録してくれると嬉しいです。
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