頑張らない努力の10年


 何かを一生懸命に頑張っている人というのは輝いているし、カッコよいし、多くの人がその背中を応援してくれるものだと思います。

私たちは小学校までは遊びに夢中で、中学、高校となると学年が上がるにつれて学問や部活動で忙しくなってゆきました。

何かを共に「頑張る」仲間やそれを応援する人たちがいて、青春が生まれました。

 中学の中頃。私も、何かを頑張るひとの素敵さに感動して陸上競技部に入り、走り込みに集中していました。最初は楽しくて始めた運動部でしたが、父と母が共にアスリートだったこともあって、本格的なトレーニングをストイックに続けることになってゆきます。

 この時代のことは大人になった私にとっての「最大努力の基準」になっています。種目は中長距離。生まれつきの肉体が大きく影響する短距離ではなく、ある程度努力と根性で上を狙っていける競技です。

 朝から晩まで走ることだけを考え、常に自分との闘い。妥協の一切ないトレーニング。少しでも限界に挑戦していなかったら、その瞬間に0.1秒の差がつき、負けてしまいます。

 喉から血の味がしたり、足や腕が痛み、酸素が足りず、ゴール300メートル手前は視界が白でフェードアウトしていき狭くなっていきます。苦しく酸素が足りない中でも、ゴールまでスピードを緩めない。200メートルのインターバル10本と、坂ダッシュに800メートル3本。1000メートル2本の記録どり。

 家まで帰る距離もそれなりに長く、毎日倒れ込むように帰ってからの宿題。もし数学の課題をやらなければ、大会の出場権はない。数学の講師からアナウンスで呼び出されてしまう。

 体重が重くなっては走りに影響すると考え、食事も気を使っていました。医師に相談して、大会前日はスパゲティ。朝はバナナと決めていました。炭酸飲料を飲むことは体に悪いとのことで禁止されていました。笑

 自己の新記録と毎日競い合う日々。そして学校生活。トレーニングは辛かったし、結果を出す私に嫉妬をぶつける仲間もいたけれど、スポーツを頑張る姿に尊敬してくれる人もいて、それを続けられることが私にとっては自尊心にもなっていました。

 でも、どこかで無理をしていました。人間関係もうまくいかないところがあったり、日々の学校生活で学問が追い付かないなど、楽しかったはずの陸上によって、ストレスばかりが増えていって、肉体的にも、精神的にも、追い詰められることが増えていきました。そこから、髪の毛が抜け落ちたりしてゆき、ある朝起き上がれず、涙を流して「もう学校には行きたくないの。」と言葉を漏らしました。

 打ち明けるというよりは、助けを求めるように言葉が出て、心配した母が少しの間色んなこと休むようにと言ってくれました。

 ーーー陸上は全国大会を視野に頑張っていたし、本当は1日だって走らなかったら不安だ。夢が閉ざされてしまう。期待もかけられていた。目標が私を支えて、夢を作っていたけど、壊れていった。弱音を吐けたりはしなかった。

 頑張る姿を人から認められた一方で、もし、頑張れなくなったら・・。人から見放されてしまうのかもしれない。尊敬してくれていた人たちを裏切ることになるのかもしれない。私を好きでいてくれているみんなは、私が陸上をやっているから好きになってくれたみんなだ。

 それまで一緒に頑張ってきた仲間とはもう過ごすことはできなくなってしまうんだ。ーー

 「何かを続ける」「やり切る」ことが正義だと思っていたけれど、「休部させてください。」と話をすることの、やりきれなさ。

 「何かができなくなってしまうことほど、悔しいことはねぇんだ。」

父がそう話してくれました。

両親が一番の理解者だったことが私を救い、今こうして生きているよういにも感じたりもします。学校生活は辛いことばかりだったのです。

 希望も失って、一年。

何か本当に好きなことをやったらいい。学校が世界の全てではない。好きなことで生きたらいい!

と母から背中を押してくれました。

新しく、何かを・・。

「子どもの頃、好きだった絵を、もう一度やったらいいじゃない」

高校2年の末に、美術の予備校に通い始めてから、人生が変わりました。大学は美大にはいけなかったけれど、地元近くで芸術特待生として入ることができたから、少しだけ金銭的に恩返しができたかもしれません。

 まだこれが本当に自分にとって本物の好きなことなのかはわからなかった。でも、どんなに眠たくても、どんなに厳しい評価でへこんでも、奥底では学べる喜びが常にあって、学校生活のベースにあった「学ぶこと」とはなんだったのかと思うほど、講義や勉強が楽しくて仕方なかったんです。

 好きなことって寝てても入ってくるんですよね。でも、今度はアトピー性皮膚炎が私の行動を妨げることになります。毎日痒くて痛くて集中できない。

 また病気。か。って思うけれど、周りからは無理をしないように神様が私にそういうセンサーをつけてくれたんだよと、前向きに考えるようにアドバイスをもらっていました。

 病のほとんどの原因がストレスによるもの。確かに私はストレスがかかりやすいようだから気をつけて行こう。

 ストレスがかかったり、無理をしたら、またアレルギーがひどくなって、結局は身動きができないほどになってしまう・・。やる!と約束したことも、中途半端で人に迷惑をかけてしまう。

そんなふうに思って、色んなことに気を付けなければいけませんでした。

どんなことも無理をしない。頑張りすぎない。ストレスに弱い自分を受け入れて、厳しすぎる自分に対してもっと優しくなれる生き方をしたい。

今の私はそんなベースの十年間の上にあります。

 去年から体調が良くなった!とは言って無理がきくようになって嬉しいことはたくさんありました。でも実際には、いつでもまた元の状態に戻る可能性があります。(実は最近はまた少し体調は良くはないです。笑)私はこの10年間は自分の体にストレスをかけない生き方の努力を続けていたのです。

 10年の間に学んだ、心と健康については、誰かの知識を読んだのではなく、経験によって学んだものです。病が辛いということは、人に話したところで、あまり信じてもらえないということも最近感じています。誰でも「体調が悪い」とは人に言いたくないものですし、人と会う時=割と体調がマシなとき だったりもするので、言い訳っぽくならないようにちゃんとした説明が必要なんだなぁと思うようになってきています。

 今日ここにこの内容を書くのも、うまく話がまとめられてないかもしれないのですが、これからの私の活動にとって書くことは必要なことだというふうに思っています。

「頑張ること」を求められる世の中で、

私は自分の辛い病から学んだ「頑張らないということ」を今でも大切にしているのです。

 頑張らない自分は見捨てられるかもしれない。と思ったあの時のこと。

頑張ると発作が出てしまう病を常に抱えて生きてきたということ。

じゃあ、頑張れない人を私は見放すだろうか。人は頑張ろうとして力を出すものではない。夢や希望があって頑張れるものであったり、好きなことにただ夢中になっているだけであったりするだけのものではないか。感動して力が湧くものなのではないか。そして力を抜いて生きたっていいではないか。人は人に親切であったかが大切なのではないか。

 「頑張ることの本質と正義」に対して、私は思うことがたくさんあるのです。

力で無理やり自分の体を動かそうとして、いいことなんてなく、人はそういうことなしに愛されるものなんだと強く感じているんです。

それは自分だけではなく、他人に対しても、力づくで何かを押し進めることには私はFF7の主人公みたいに「興味ないね」と言いたいのです。

楽しいということ。好きだということ。感謝の気持ち。溢れる想い。人から何かしてもらった時にある感動。そういうものがあって、私たちは動いて、その時に自分の想像を超えて力が発揮されるものなんだと私は思います。

 本当の努力って、苦しくない。努力できているときは、心の底で、ものすごく楽しいときだ。

そんなふうに、私は思います。 

だから、陸上がなきゃダメだとか、絵を描かねければとか、そういう次元で私は物事を選択しているのではなくって、まず自分自身を大切にできているだろうか。家族を幸せにしたいとか。他愛もないことで笑言い合えることの美しさとか。悲しんでる人がいたら、大丈夫だよと声をかけてあげれただろうかとか。そういう物凄く大切な生きるということの上に、命がけで何か作ろうというエネルギーが爆発したり、作品が育つと、考えているのです。

 実はこうしている間にも作品がなかなかできないことに物凄く焦りもあるけれど、絵は私と共に生きていくものなんだと、もうわかっているんです。これは運命だと感じているんです。

 私は私のペースで努力を続けて、物事に取り組み、いい芸術家になるという夢をこれから叶えていきたいと思います。

生きることを楽しもう。信じていきます。最高の未来を。

うまく伝えられているかわからないけれど、私たちは、できる!

わかってくれる方々がいて、本当の愛情で応援してくれている方がいたら、それだけで心が温まって力が湧いてくるものですよね。よし、たくさん書いたから、また、やる気が燃えてきちゃいました。いてもたってもいられない!

一緒に夢、叶えようぜ。

では♪


 

 

 

 



サポートのお金は絵具代にさせていただきます🌷私の色彩がまた一つ。