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お世話係になった娘のその後

幼稚園の時、娘はある男の子2人と3年間ずっと同じクラスで、ずっと席が前後左右にいた。

その2人の男の子は、何の医学知識も持たない普通のおばさんの私でも「おや?」と思う行動や発言、感情の凹凸が激しかった。

娘は、先生方や周りのママさんの発言、習い事の先生の発言から判断して、比較的しっかりして落ち着いている性格の子供だったと思う。

その娘が「つらい」と初めて言った年中の時。

その時初めて、入園してからずっと席が隣や前後いること、お絵かきや工作の時間などクレヨンを持たせたりハサミの安全な使い方を娘が手取り足取り教えていた事、彼らが奇声を発してる時はうるさくて耳を塞いで耐えている事を知った。

全貌を年中の娘の語彙力から理解するのは中々大変だったのを覚えている。

そして思えば、この男の子のママに会う度に「お宅の娘さんと仲良くしてもらえて助かっている。うちの子はお宅の娘さんといるととても落ち着いて過ごせるのでこちらも安心です」

と言うような事を言われていた。

私は社交辞令の一つだと思い「お互い様よ〜」と気にしていなかった。

しっかりしているとは言え、年中の子供だ。

どんなに負担だったろう。

「毎日あの子たちが怒られないようにちゃんと出来るように私が側で教えてあげるのが辛かった」とボソッと言った娘。

毎日毎日、男の子2人の様子を見ながら自分も楽しもうと頑張っていたのか、と胸が締め付けられる思いだった。気づいてあげられなくて本当にごめん、と思った。

私は娘に「何も手伝わなくていい。貴方がやりたい事をやって、ただ楽しんでいればいい。怒られるかどうかは本人次第なので全く気にしないで。ハサミの使い方とか教えるのは先生の役目。何かあれば全て先生に言って、貴方はその場を走って離れなさい。何か言われればママとパパが守ってあげる」と伝えた。娘は納得したようで、それから気持ち的に解放された様子でひびを楽しく過ごしていた。「今日隣の男の子が暴れたから走って逃げたよ」と言うようになった。

私はすぐに先生に伝えた。感情を込めずに事実を淡々と。

でも、伝わらなかった。


「席が近いのは偶然です」と言われた。

「お宅の娘さんは喜んで率先してお世話をしています」と。


なんと3年目の年長も2人と同じクラスになり卒園まで席が隣だった。


卒園して数年経つが、「二度とあの子達に会いたくない。」と言っている。幼稚園の記憶など徐々に薄れているはずだが、あのお世話係として感じていた嫌な感情はハッキリと残っている様だ。

「お世話をする事」がダメなのではない。思いやる心、多様性を認める心が育つこともあるだろう。

ただそれは結果としてお世話をしたものが「拒否感」しか残らないのではやり方としては間違えていたのではないかと思う。

少なくとも、我が家の場合、お世話係の経験で得たものは拒否感のみである。





私は思う。

園児に園児のお世話は無理です。先生が大変なのも近くで見てきたから決して知らないわけではない。でもお願いだから「特定のしっかりしてる子をずっとそばに置く」という判断はやめて欲しい。それが無理ならせめてお世話する人を分散させてほしい。

そして「しっかりしてるから大丈夫だよね」という声がけはやめて欲しい。「あなたはしっかりしてるから」を頻繁に言われると、

「先生の望む『しっかりした自分』を演じる」ようになってしまうんだ。


私は思う。

「隣の席の子がしっかりしてるからうちの子は助かってる」と思うのであれば、その隣の子は負担に感じている可能性がある事を知って欲しい。「周りに助けてもらっている我が子」はママにとっては「赤ちゃんみたいで可愛い、皆に可愛がられている姿が可愛い」のかもしれないが(実際この様に言われました)お世話している子にとっては「負担なだけ」なのかもしれない。どれだけ助けても助けられている子にとってはそれが普通で感謝されることはないのだから。


お世話をしている我が子がしっかりしてる様に見えるのでしょうか、何も問題ない様に見えるのでしょうか。私が楽々育児している様に見えるのでしょうか。

でも家に帰れば「ちゃんと自分がお世話をしなければ」とプレッシャーに泣いてるんだよ。

問題がないのでは無く、何か問題があった時に親は冷静にベストな対応を心がけて選択しているだけなんだ。心の中は毎日汗かいて涙流してるんだ。

我が子はすこーし、ほんのすこーし人より何かできる事があるかもしれない。でもそれは些細な事で、目先の出来る出来ないより、もっと大きなスパンで、視野をどどーんと広く持って育児してるんだ。

その為に親の私たちも大きな夢と希望を持って、その実現に向けて努力してるんだ。大人になったけど、親になったけど、現実というものをイヤというほど感じてるけど、子供に負けないくらい大きな、とっぴょうしもない夢を持って、本気で実現すべく毎日を生きてるんだ。そんな背中を我が子に見せて育児してるんだ。


幼稚園は違うが近所に住む我が子と同い年のお友達がいた。卒園間近の頃、そのママさんから「うちの子が発達障害と診断された」と相談された。

そのママさんからは「上の子が今回診断されたので性格や行動がそっくりな下の子も今後同じ診断が下ると思われる。ただ、軽度で学力は問題なくコミュニケーションに少し不安がある程度なので普通学級に進むつもり。お宅の子はしっかりしていてうちの子も大好きだから同じクラスだといいな。色々宜しくね」と言われた。

正直、我が子は、うまくコミュニケーションが取れないこの子がとても苦手だった。街中で偶然会った時、この子の態度も「大好き」という感情は伺えなかったと記憶している。


「色々よろしくね」

この言葉は社交辞令なのかな。きっと深い意味はないよね。

正直、言われた時にゾッとした。本当に恐ろしかった。

ただ、幸いな事にその頃は私立小への入学が決まっていたのでさらりとかわす事が出来た。


この文章を読んで色んな事を思う方がいらっしゃると思う。

実体験と、外では決して言えない、でも言いたかった思いをここだけに吐き出させてもらいました。


私自身小学五年生の時に突然お世話係にされた経験があります。

授業中、班ごとでの発表をする時、休み時間、話しかけても返事がない給食の時間、本当に本当に切なくて寂しくて、友達がどんどん離れていって毎日がつまらなくて苦しかった。あまりに辛くてその子を無視する様になった。

するとある日先生に呼び出されて「君に直して欲しいところがある。なぜあの子を仲間に入れないんだ?それは意地悪じゃないか?友達ならあの子を他の友達の輪に入れてあげなさい」と言われた。

私は「私が悪いのか」と思った。言い返したり反発する発想がなかった。先生が言うことが正しいと信じていた。


幼稚園での娘の出来事を知った時、一気に自分の過去の記憶が蘇ってきた。

そして上記の様な展開になったわけです。


今の私にとってはもう過去のことになりつつあります。でもたまに思い出して複雑な気持ちになる時もあります。

こうして書き綴る事で気持ちの整理をしたほうがよいと思い、書いてみました。

「こんな時もあったよね」と笑って、前に進みたいと思います。


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