幸せを考えるとき #幸せをテーマに書いてみよう
幸せかどうか問われたら、私はなんと答えるのだろう。
不安や不満は日常にある。このまま夜は明けないのではないかと思ってしまう夜だってある。切なくて泣くこともある。この先のことだって心配だし、現状に満足しているのかといえばそういうわけでもない。
けれどそんな今の私のことは好きだったりする。
それは幸せということなのだろうか。
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「幸せ」とは何かということをを考えてしまう時は、現状に満足していないときではないかと思う。満足していたら「幸せ」という一生答えの出ないことを考えることをわざわざ考えることはないだろう。
愛する人がいるから幸せという人もいれば、お金がたくさんあるから幸せという人もいるだろう。仕事で成功したから幸せだったり、子供の成長を見ていることが幸せだったり、仲間や友達に恵まれることだって幸せなんだろうと思う。
しかし、愛する人がいるからこそ一喜一憂し、眠れぬ夜を迎えることもある。お金があったり仕事で成功して疎まれることだってある。子供の将来に悩み、人間関係で苦しむこともある。幸せの定義なんて誰もわからないし、他の人の幸せが自分に当てはまるわけではないのだから。
私は人と関わることがあまり得意ではなく、一人で過ごしたいと思うこともある。そんな私には悩みを打ち明けられるような親友もいない。たぶん私のパーソナルスペースは広いのだと思う。かといって一方通行な自己満足だけでは満たされない。だから誰かに認めてもらえることは嬉しいと思うし、愛する人と一緒にいる時間は心が温かい。
そう考えると、幸せというのはやはり一人では育むことができないのではないかと思う。一人でできると思っていても、やはりいろいろな形で人と関わらなくては生きていけない。自身の努力は必要であるが、それだけでいいのであればとっくに幸せを掴んでいるはず。
第三者の心が必要なのだろう。
もしかすると、生きているという証を残すことが幸せなのではと思う。それは「私」という存在を愛しく感じ、そして「私」という存在を必要としてくれること。パートナーや子供といった身近な人かもしれない、そして仕事や社会かもしれない。そしてそれは私自身かもしれない。
これは誰もが持っている「本能」でもあり、そして「幸せ」というものなのではないかと思う。
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結局のところ私は幸せなのだろうか。
まだ、生きているという証を残したとは言えないような気がする。そして際限なくそれを求めていく。ただ穏やかな日々は失いたくない。そんな葛藤をしていきながらこの先を過ごしていくのだろう。
人生の最期に「幸せだった」というために。
2019.11.11
ひなこ
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