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二位の世界からみた景色

だいぶ前だったが、立憲民主党の蓮舫議員の「二位じゃダメなんでしょうか」という発言が話題になった。この言葉だけを取ってみると反論はあると思うが、当時、事業仕分けの際に次世代スーパーコンピュータに対する議論の中で処理スピードだけを求める必要はないのではという思いから出てきた言葉だったと記憶する。

私自身はこの発言に対して正直「ダメじゃない」と思っていた。二位だったら十分に合格点だし、頑張った結果二位だったら何が問題あるのだろうと。

自分に甘いと言われるのはそんなところだと思う。

中学、高校と上位の成績だったが一位をとった記憶がない。まあ自慢することではない。余談だが運動神経は無いに等しいのでそこに関しては触れないが、体育にも筆記試験がある。実践はダメだったけれど筆記試験でなんとか乗り切った。

就職してからは、どちらかといえば全体を見渡すような部署に配属された。俗に言う広く浅い知識で仕事をしていた。ただ私に求められているものはその知識でよく、また要領は悪くなかったので評価されていた。それは転職をしてからも変わらない。だから異動しても大抵の仕事はいい感じにこなしたと思っている。

ただ、それは秀でたものがないということと同意でありこれが得意だと胸を張って言えるものが何もない。だから秀でたものがある人に対して嫉妬をしていた。平均点で見れば私のほうが成績が良いかもしれないが、その秀でたものがあまりに眩しすぎてつい目を背けてしまう。何もしていなかったわけではないけれど、一位になる努力をしたかと言われると自信がない。

これが二位の世界から見た景色。

大した努力もせずある程度の要領のよさで獲得した二位。そんな私には嫉妬する資格すら無い。このまま二位でいるのか、あるいは一位になるために努力をするのか。もしかすると結果は一緒かもしれないけれど全く違うものだろう。

ただ、一位の世界にこだわっているわけではなく私自身が納得した世界から景色を見たい。

矛盾するが無理をしないことでもあり、それによって平均点が下がるかもしれない。それでもその世界から見た景色は見下ろすのでもなく、また見上げるのでもなく、目線と同じなのではないだろうか。

◇◇

「二位じゃダメなんでしょうか」の次世代スーパーコンピュータ「京」は2019年の8月に運用を終了した。その後継機「富岳」は一位を目指さないスーパーコンピュータということを何かの記事で読んだ。

演算器にかけるお金を抑えメモリにお金をかけて、多くのアプリケーションで高い性能となるように設計している。つまり、富岳はTop10くらいには入るとしても、Top 1を目指してはいない設計である。

何かに特化して秀でることはもちろん素晴らしいことだけれど、総合的に見たときにいいものと言ってもらえることはもっと素晴らしいことなんだろう。

私もそんなふうに生きていければと思う。