妙齢のひとりごと(進化の流れと恋愛について)
「東京ラブストーリー2020」が配信された。30年前に放映された平成版の「東京ラブストーリー」を知っているため、待ち合わせのすれ違いなどどうやって表現されるのだろうと思っていたが、今の時代のすれ違いがいい感じに表現されている。
30年前にはスマホはもちろんのこと、携帯電話を持っている人はごく一部の人だった。インターネットが普及したのはそれから数年後、ネットを使うコミュニケーションツールとしてはパソコン通信があったが、それを使っていたのはパソコンに詳しい一部の人だった。待ち合わせをして時間に間に合わないとわかっても「遅れる」の一言が言えずに終わってしまった恋があったかもしれない。会っていない時のつながるツールは「電話」だけ。その電話も家の電話で誰が出るかわからないので掛けるときはロシアンルーレットのようにドキドキしていた。
インターネットの普及により物理的にはいつでもつながっている。つながっていることがあたりまえだからこそ心の距離が見えやすくなり、見なくていいものがたくさん見えるようになった。
つながっているのに、つながっていない。
そうやって進化の流れは、物理的な距離感を曖昧にし心の距離感を可視化したのだろうと思う。
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30年前の月9と呼ばれていた「トレンディドラマ」は、いつ仕事しているんだろう、なぜ雨の中濡れて追いかけるんだろうなど振り返ると恋愛至上主義そのものだった。あの時代、出会う人は自分の生活エリアを超えることはほとんどなく、入ってくる情報もテレビがほとんど。言い方は悪いが「楽しみが少なかった」のではないだろうか。
また、今ほど男女平等という概念が薄かった時代だった。私の両親の世代は「女性は結婚しなければ恥ずかしい」という中で生きてきたため、家庭の中で結婚が話題としてあがるのは日常だった。そのためなのか、当時の私は恋愛は私のすべてと思っていた。それが故に周りが見えずうまくいかなかったこともあった。今の私だったらもっとうまくやっているのにとあの頃の私に言ってあげたい。
今は、情報があふれ生き方も自由に選択できるようになった。そして楽しみも多種多様。だから恋愛は生活の一部あるいはなくてもいい。そんなふうに変わってきている。進化の流れというのは人間の本能まで変えるものなのだと驚きを隠せない。
それでも、恋愛というのは喜びや痛みという人として必要な感情を育てるものだと思う。恋愛至上主義でなくなった今、少しだけ寂しさをおぼえる。