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三日先の未来までのことを考えればきっと幸せなんだろうと思う

子供の頃、将来の夢を聞かれてなんと答えたのだろうか。一番華やかな世界はテレビの中にある信じていたあのころはブラウン管の中の世界に憧れを持っていたような気がする。確かブラウン管の中に人が入っているのではないかと思いテレビの後ろに回って中を覗き込み「私もこの中に入りたい」と思った記憶がある。歌番組を見ながらスイッチを入れるとエコーがかかるおもちゃのマイクを手に持ち、出演している歌手と同じ動きをしながら歌った。漠然としか覚えていないが、将来の夢は「歌手になりたい」と答えていたよう気がする。

そんな今、歌手にはなっていない。今はカラオケで歌うくらいがちょうどよい。どこでその夢が変わったのかわからないが、大人になるにつれて現実を知り、そして取り巻く背景がその夢を変えていったのだと思う。

今の私の姿は「なりたかった姿」だったのだろうか。

私の人生は世間一般的には「負け組」に分類されるのかもしれない。誰かと比べてはその幸せを妬み、どうしてこんな思いをしなくてはいけないのかと嘆くことがなかったわけではない。ただ、何が勝ち組で何が負け組なのかを決めるのは第三者ではなく自分自身ではないだろうか。

私は今の私のことは決して嫌いではない。回答としては不正解かもしれないが後悔しない人生を選んだ。それはわかっていても正解を選べなかった。選ばなかった人生のことは知る由もないが、正解か不正解かだけで人生を選んだとしたら、私はずっと後悔し続けるのだと思う。

人生を広げることは難しく、むしろ畳んでいかなくてはいけない年齢となっているが私は見て見ぬふりをしている。それは自分で選んだ人生だったとしてもどうしようもなく不安になる。たぶん今が永遠ではなく努力が及ばないことを知っているからなのではないかと思う。

そんな今を、スノードームのように私の中に閉じ込めることができたらと願わない日はない。

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ただ、先のことは見て見ぬふりしても、明日を期待したい思いはある。もしかすると「三日先の未来」までのことを考え続けていれば幸せでいられるのかもしれない。

不安と今を行き来しながら。