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もう一度、走り出してみようと思った。

2024年、3月31日。
神山まるごと高専にとって、2回目の入学式の日。
私にとって、初めて参列者として出る、入学式の日。

2期生たちの、純粋で、まっすぐに未来を話す姿に、そしてその必死さに、心から、あの場に言葉を残した、野心を残した2期生を、尊敬した。そして、すごくこのままじゃダメだと思った。
誰一人、嘘偽りのない言葉だったと思うから。

聞きながら、感動しながら、
「もし、私が2期生として入学するなら、何を話すのだろう。何を残したいと思うのだろう。」
と思った。

去年入学をした時も、この野心をプレゼンするというのはあって、必死に考え、徹夜したことを覚えている。(来年もそうなるのかは全然わからないけど。)
入試で提出したことを話せば早かったかもしれないが、あの時は考えが変わっていて、それを伝える選択肢は完全になかった。自分に嘘をつきたくなかったし、自分の中にある野心を伝えられるのは、自分が今100%で思っていることだと思ったから。

必死に、でもワクワクしながら、伝えたのは、この
「世界にワクワクを届ける。」

何度も考えた、スクリプト。

でも、この野心は、今私にあるのか?
と問われると、すぐに頷くことはできないな、と思った。

この1年間、本当にいろんなことがあって、刺激をたくさん受けて、変わる努力をし続けて私は、野心も、自分自身も変わったな、と思う。


良いことか、悪いことか。

私は、前期と後期で、めちゃくちゃ変わった。

「落ち着いたね。
「地に足ついた気がする。」

そんな言葉を、よくかけられるようになった。

前期は、生活リズムも、感情の波も、荒れていた。
日をまたいで寝て、朝ギリギリに起きて準備して、朝ごはん終了ギリギリの時間になって食堂におりて、食べれるか食べれないかの戦いを繰り広げる毎日。課題提出も、全部ギリギリだった。
めちゃくちゃ悩んで、めちゃくちゃ落ち込む日と、超ワクワクが止まらなくて、ずっと笑顔な日と、1日ごとでも変わるし、1日の中でもたくさん差がある毎日だった。
そんな生活だったけれど、自分の感情を大切にしていたし、なんだかんだあの波は、私にとてつもないエネルギーをくれるものだったと思う。

ハプニングもありながら開催した、MUSIC NIGHT

でも、8月の最初に、そのエネルギーが原因で、大きく転んだ。
身の丈に合わない、10歩先、100歩先のことを、ワクワクのままやろうとした。仲間は2人いて、みんなの予定が合う日は8月の下旬しかなかったから、準備期間も1ヶ月を切っていたところだった。
それも、その時は、期末テスト期間中。試験勉強をする傍ら、考える日々。
宿泊型のイベントで、未成年だけでやるには責任を負うことができないと、私たちだけではできないことを、私たちだけでやろうとしてしまった。
そして、どうしてもやりたくて、大人に無理やり頼んで、失礼な態度をとってしまった。
もし私たちが学生でなければ、もう今後の関係は続かないような、そんなくらい、無理やりにでもやろうとして、誠意のない態度をとった。結局、周りの人からの応援を得られなくなって、計画はなくなった。

この時、
・やりたいことをやる前に、やるべきことをちゃんとやること。
・日々、積み重ねて、応援される人になること。
の大切さを学んだ。何にでも、土台が必要。そう思った。
「自分たちならいける。なんだかんだ、きっと最後はできる。」という安易で、甘えた考えが、砕かれた瞬間でもあった。

夏休み。

深く反省したまま夏休みに入り、ずっと走り続けてきた、ジタバタしてきた毎日の忙しさから解放されて、急に落ち着いて、久しぶりに文字通りの「暇」な状態になった時、張り詰めていたものがピンと解けて、大きく落ち込むようになった。

・自分の承認欲求を満たすために悩みをコンテンツ化してしまっていること
・周りの人たちの凄さに、神山まるごと高専に受かった理由がわからなくなったこと
・選択に自信が持てなくなったこと
・この社会に、私は何を残せるのか、自信がなくなったこと

世間からの期待を勝手に感じて、自分も知らないうちに自分に期待をしてしまって、何も力がないその時の私は、押しつぶされそうになったんだと思う。

悩んで、泣いて、気づいたら、中学生の時からお世話になっている今井さんに連絡をしていた。次の日特急電車に飛び乗って、今井さんがいる砂川に向かった。
着いてすぐ、今井さんが迎えにきてくれて、どうしたのひなこーって聞いてくれた。
この日は涙もろくて、そう言ってくれた時も泣いていたし、時間中も、ずっと泣いていたように思う。ぐだぐだ、ぽろぽろ、頭の中にある自分を守るための言葉と、自信のない言葉を全て出した。
今井さんは、話を聞きながら、「悩んだって社会は良くなんないじゃん!」と、喝を入れてくれて、「社会を良くすることだけ考えなさい」と言ってくれた。今井さんはどこまでも社会を良くすることを考えていて、そんな今井さんに改めて憧れたし、優しく寄り添うことよりも、背中を叩くようにはっきりと言葉を伝えてくれたのは、悩んでうじうじしている私をわかってくれていたからだと思う。

帰って、一人になった時、"きっと私は余計なこと、考えたってキリがないことに悩んでいたんだな。この悩みは、自分でこれから行動した時に答えを出せばいいんだ。"と思った。

ひな子ver2の始まり。

大好きな人から、めいいっぱいパワーを受け取って、大切なことに気づいたその1週間後、学校のインド研修に行き、広くて、カオスという言葉では表すことができないほどのぐちゃぐちゃさで溢れている世界を目の当たりにした。
この旅のテーマは、"Quest for being"。広い世界で生きる、ちっぽけな私たちが、どう在るのか?を考えるプログラムだった。
期間中、スタッフさん*がずっと真摯に向き合ってくれて、それは時に私に刺さるものだったけど、これまでずっと悩んでいたことを、本気で自分の言葉に落とし込むことができたと思う。

*私の学校では、先生とは言わず、スタッフさんと呼んでいる。

殴り書きをした、忘れたくない自分の気持ち。

旅の最後に、期間中に考えた自分のbeingを発表する時間があって、私はきっと泣きながら伝えるんだろうな、と思った予想とは反して、冷静に、頭の中から湧き出てきた言葉を、目の前に置くように伝えた。

淡々と、初めて静かに伝える、自分の気持ち。そして、今の自分、未来の自分。
自分でも驚きでいっぱいで、終わった後スタッフさんに、
「泣くと思ってたのに泣かなかった。本当に自分でそれを思っているのか不安。」
と伝えたら、
「もしかしたらそれが本当のひな子なのかもね。」
と伝えてくれて、新しい自分に出会ったんだとその自分を肯定した。

泣きながら思いを伝えること。
それは、私が「私」を伝えるための、せいいっぱいの手段。
でも、もしかしたら、違う手段もあるのかもしれない、と新しい自分を知った日だった。

新しい世界、新しい自分。

16年間生きる中で触れていた全てがひっくり返ったインドから帰ってきて、SP活動*の中間発表や、高専祭、視察ツアー、スタッフ(先生)さんの結婚式。イベントが盛りだくさんの2ヶ月は、鬼のように早く過ぎていった。

*スカラーシップパートナーの略。SP企業によって内容や頻度が異なるコラボ活動を行っている。

詳細はこちら

一つ一つのイベントで、悩むことはいっぱいあった。
グループでの目線のすり合わせや、コミュニケーションの取り方。失敗が許されない、絶対に成功させる仕組みづくり。リーダーとしての進め方。
自分のwantが、いつしかmustになったこともあったし、私の言葉で、誰かを傷つけてしまうこともあった。
その申し訳なさと、そんな自分を否定するように、悩むし、落ち込むし、涙が出てくるし、毎日友達と会話をしていたとしても、一人ぼっちだなと思うことが多かった。でも、そうなるたびに、「悩んだって社会は良くならないじゃん!」という今井さんに言われた言葉が背中を叩いてくれて、考えてしまっても、必死に手を動かした。

悩み、葛藤、幸せなこと。全てのイベントにあるけれど、一番の濃い衝撃は、スタッフさんの結婚式で、憧れの人と出会ったこと。
正確には、ずっと前から憧れだった人。Twitterで知ってから、一つ一つの投稿に書かれる言葉が大好きで、ずっと会って話したいと思っていた人だった。
結婚式が終わった後、参列者として来ているその人っぽい人を見つけて、わかっていながら「みっきーさんいませんか!?」と声をかけた。
そして、焚き火のそばで、たくさん話した。みっきーさんの言葉は、やっぱり芯があって、葛藤があったからこそ生まれていて、かっこよかった。

「私、明日がもっと楽しい1日になる。良い日になるって思ってるの!」

そう、「信じている」という言葉がなくても、本気で思っていると伝わってくる、みっきーさんの笑顔と、雰囲気に、心の底から憧れた。
この日、みっきーさんや、たくさんの人たちにいただいた言葉や熱量への憧れは、今も、私の頑張る原動力になっている。

髪色も似てて嬉しくなった

緩やかな、淡い、秋。

大好きな人たちと出会えたこの結婚式が終わり、しばらく何も予定がない日々が続いた。
忙しかった日々からは想像できない落ち着きで、逆にやることがわからなくなるほどだった。神山の人たちと話す機会が多くなり、町の方々の優しさに、たくさん触れた。 

一番は、KAMIYAMA MARCHE。
何もやらない日々に落ち着かなくて、イベントの1週間前に、ボランティアとして参加したい!と知り合いに頼み込んでからスタートした。
といっても、当日のボランティアだけで、主催者の方が知り合いにいただいた柚子と渋柿を売るというのを任された。
その時期の神山町は、どこでも柚子や柿がとれてしまうし、ご近所さんからいただくというのもすごく多いそうで、最初は全然売れなかった。でも、じゃあどうしたら買ってもらえるかな?と、たまたま家族で出店していた知り合いの中学生の子と相談して、「30秒詰め放題」を300円でやってみることにして、会場にアナウンスをした。
あまりに売れない様子を見かねてなのか、詰め放題というのを子どもたちがやりたくなったのか、会場アナウンスをした後、家族で何人か来てくれて、多くはないけれど、売上に繋げることができた。
そして、町のおじいちゃん的存在のニコライさんとも、この時に初めてゆっくり話せたし、いろんな町の人たちと出会うことができて、すごくすごく幸せだった。

大好きな写真

大好きで、自分が住んでいる町だからこそ、もっともっといろんな町の人と繋がりたい、感謝を伝えたい、恩返し、恩送りをしたい。
そんな気持ちが強くなったのは、この時からだったと思う。
神山、楽しいな。最高だな。大好きだな。
この気持ちが、私の生活をワクワクさせてくれた。

新しいワクワクの始まり。

11月の最終週の日曜日、かまパンのマルシェ出店について行かせてもらった。
きっかけは、入試の時にお世話になった方に、かまパンでバイトする?と言われたこと。
パンもほとんど焼いたことがないし、かまパンまでの道が遠すぎて体力が尽きてしまうのに、「やりたいです!」と伝えた。"バイト"をしてみたい気持ち50%、その人の考え方を近くで学びたい気持ち50%で。
まずはお試しということで、マルシェに行かせてもらうことになった。

レジ打ちもやったことがないし、パンや野菜についても全然知らない。お客さんに聞かれて、すぐおすすめのポイントやおすすめの食べ方を伝えているかまパンの店員さんをみて、素直に憧れた。
キラキラ輝いて見えた。
私も、パンや野菜のことを知りたくなったし、知って、広めたいと思った。

それから、高専の給食で食べた美味しかったにんじんローストの作り方を食堂の方に聞いて、実践してみたり。久しぶりにカヌレを焼いてみたり。
そして、12月の中旬からは、かまパンにバイトとして入るようになった。

にんじんローストと、膨らんだカヌレ

入る時間は、朝。この時はmtgや課題、予定が忙しく、放課後や休日など入れる時間がめちゃくちゃ少なかった。
しかも、自転車に慣れなくて体力が全然なかったから、かまパンに行くのに、20分はかかる。
それで、入りたいけど、入れる時間あるかな…と、その誘っていただいた方と話していた時につぶやくと、
「時間がない。ねぇ…」と言われた。何気ないこの一言に、「あ、私は甘えているな。」と思った。入れないなら、朝入る。迷惑かもしれないけど、朝に入らせてください。と、とりあえずできることをやってみることにした。

指示をしていただきながら、洗い物、パンの仕分け、陳列、梱包。
たまにドーナツを揚げさせてもらったりもした。
初めてのことに戸惑うこともあったけど、すごくすごく楽しかった。
前日にできなかったことが、次の日できるようになったり、コツを掴んでいったり、失敗もあるけれど、楽しかったし、あんなに朝起きるのが嫌だったのに、目が覚めるようになった。自転車も、早くこげるようになった。

とにかく毎日が楽しくて、幸せで、
明日もいい日になるって思うってこういうことなのか!と知った。

6時50分。大好きな、朝焼け。

神山が雪に包まれた頃、冬休みに入った。
帰省して、大好きな人たちとたくさんの時間を過ごした。毎年恒例でする麻雀も、トランプも、全部全部楽しかった。
そして、大好きな地元のバレーボールチームVOREASのホームゲームもボランティア参加して、地元をめいいっぱい楽しんで、神山に帰った。

帰ってからも、かまパンに朝入ってから授業を受け、時間があるときは放課後も行く。そして、mtgや課題をする。
忙しい日々だったけど、でもやっぱりこの忙しさって楽しいなと思った。

年度末、最後の頑張り。

この頃、一番忙しかったのは、町の方々向けの報告会。
11月の最後につなプロ報告会に参加した帰り道、スタッフさんに「高専の報告会をやりたいです。」と伝えてから3ヶ月間、一生懸命準備していたものの、大詰めだった。

報告会をやりたいと思ったのは、やっぱり、感謝を伝えたかったから。
1年間、とっても楽しくて、神山が大好きになって。
そのきっかけを作ってくれるのはいつも神山の温かい方々で。
挨拶をしたら笑顔で返してくれたり、「ようけ遠いところから来たんやな」って歓迎してくれたり、ひょいひょいって手招きされて、そこに行ったら「ここを通った人にこれあげようと思ってたんよ!」ってすだちをくれたり。

当日に来ていた赤いカーディガンも、町のおばあちゃんのお家に行ったら、「これあげようと思ってたんよ!」って用意してくれた、大切な服。(服をいただいたことではなくて、想いが何より嬉しかった。)

神山まるごと高専という学校ができたこと。
神山町まるごと、学びのフィールドであること。
たくさんの経験をさせていただいたこと。
こんなにも毎日が幸せで、楽しいこと。
自己満足でしかないかもしれないけれど、感謝を伝えて、たくさんの町の方々と繋がりたかった。

そして2月18日。修了式が行われた日の午後、ドキドキの報告会が始まった。

給食の申し込みがあまりなく、最初、あまり人が来ないんじゃないか、と思っていたけれど、実際は大盛況。受付に立っていた時の、あの長い列が、今でも忘れられない。

長い列の写真は撮れなかったけど、受付前に庭で待ってくださっていた風景。

給食を食べながら、一緒にお話をしたり。
久しぶりの再会を、楽しむ方々がいたり。
友達が作った動画を、涙しながら見ている人がいたり。
一生懸命友達が作ってくれた展示を、たくさんの方が見ていたり。

報告会でも、笑いが起きながら、私たちのリアルを伝えることができたし、きっと、一番伝えたかった感謝の気持ちも伝えられたと思う。その後の座談会でも、学生と町の人たちでグループを組んで、いろんなことを話して。
帰っていく町の人たちの背中に、こんなに多くの方々が来てくださって、楽しんでくださったのだと、また感謝の気持ちでいっぱいになったし、本当に、本当に、幸せだった。

大好きな人たちが目の前にいれば、こんなに笑顔になるんだと知った写真。
神山町の思い出地図の展示。

そして、このプロジェクトと、今までの違いは何よりも、私だけではなく、学生と、スタッフさんと、みんなで作り上げることができたこと。
入学した当初は自分一人でやりたい気持ちが強かったけれど、1年間を通して、みんなで作った方が良いものができるんだと知って、みんなの得意や特徴を最大限活かし合いながらすることができた。
みんなでやるって、こんなに最高なんだ。こんなに楽しいものなんだ。
そう、心の底から思った。

そうして、この報告会の準備をしながら期末テストも終わり、かまパンでのバイトをギリギリまでして、地元へ帰った。

帰る前日、ライトアップされた高専寮の看板を見て、すごく懐かしくなった。入学したとき、ここで毎回泣いてたなと。
何回も何回も泣いた。辛いことや悲しいことでいつも泣いていた。でも、このときは、嬉しいこと、寂しいこと、その人が大好きだからこそ、感じる感情で泣くことが多くなった。

そんな自分の成長を感じながら、大忙しな春休みがスタートした。

まずは、冬休みにも行った、VOREASホームゲームのボランティア。そして、

ずっと楽しみにしていた、『16旅』。

自分のお金で、自分の行きたいところに行って、会いたい人に会う。
バイトや有償インターン、今まで貯めていたお金で旅をした。自分のお金で行くことにこだわったのは、価値を自分の中で持ちたかったから。
入学してから、というか入学する前から、私は環境や人にすごく恵まれていて、それはしたい体験や欲しいものが手に入るのが当たり前で。
感謝の気持ちはありつつ、どこか「お金を出してもらっているから、〇〇しないと」という気持ちがあったことにモヤモヤしていたのがきっかけだった。
恵まれていることに対して、自覚を持つこと。
誰かがお金を出してくれた旅ではなく、自分でお金を出して、自分の中に価値を持つこと。
ある意味、私の小さな”挑戦”だった。

結果、旅は、私の中でかけがえのない、大切な経験になった。
行ったところは、岩手、山形、東京。
岩手は、大好きなへラルボニー巡り。
ギャラリー、カワトクショップ、へラルボニー創設のきっかけとなったるんびにぃ美術館、ホテルマザリウム。へラルボニーをめいいっぱい感じた。
そして、行きの飛行機で気づいたのは、「モノを作る力で、コトを起こす」とはこういうことなのかもしれないということ。
へラルボニーが実現したい未来のために、いいモノを作り、広め、コトを起こす。行く前数日間、ずっと「モノづくり」が曖昧になっていた私にとって、この気づきはすごく大きいものだった。
そして、「どうせ無理だ」と諦めてしまいそうになる私にとって、”福祉”という国として取り組むべきことに対して、民間でやっている姿がすごくカッコよくて、勇気をもらった。
知れば知るほど、へラルボニーが大好きになっていった。

飛行機の中で見たへラルボニーの動画

載せたい写真がありすぎるので。全部幸せでふにゃけた顔をしてる。

旅中のアクシデントからの出会いも、友達の地元の友達との出会いも。東京での大好きな企業さんへの本社訪問での出会いも。
私はやっぱり、人と繋がることが好きなんだ。と思ったし、自分の気持ちに素直になれる一人旅って、めちゃくちゃ最高じゃん。と思った。次は、海外に一人旅に行きたいと、また夢ができた。

そんな、ワクワクが超チャージされた旅から帰ってきて、残りの生活もめちゃくちゃに楽しんだ。
VOREASのホームゲーム、友達の定期演奏会、焼肉、大好きなカフェ。旭川、いいな、もっといたいな、と寂しくなった。そんな思いを吐露していたら、大好きなカフェでお世話になった方に「居心地のいい場所では成長しないよ。」と言われた。
確かにそうだと思ったし、こうやって言ってくれる人が周りにいる環境っていいなと思った。もっといたかったけど、ぐっと我慢して、また次の休みを楽しみに楽しみにとっておくことにした。

神山に、帰る。

3月26日、経由地点の東京から、徳島に向かう飛行機で、動画フォルダの整理をしていたら、懐かしい動画を見つけた。
Wednesday Nightで来てくださった、早稲田大学教授の入山さんと話している動画。
友達が動画を回してくれていて、その時の自分が思っていたことを、鮮明に思い出した。
「私、ビジョン型ではなくて、バリュー型なんだなと思いました。」
この日、入山さんが伝えてくれたことは、人にはビジョン型とバリュー型の2種類があるんだよということ。明確な目標を持って、そのために努力するビジョン型と、ワクワクや楽しいといった気持ちでアクションするバリュー型。「間違いなく私はバリュー型だ!」と、その時、夢を持たなければいけないのかと焦っていた時だったから、「自分のままでいいんだ。」とすごく安心したことを思い出した。

この、旭川から帰る時、少しブルーな気持ちだった。やりたいことも、作りたいモノも、起こしたいコトも見えなくなっていた。新年度が始まる前、新入生が入学する前、どうしようとめちゃくちゃ焦っていた。
でも、
『私はバリュー型だから、ワクワクしながら、やりたいことをやって、その連続で、少しづつ社会を良くしていく。』
これが、しっくりきた!

動画を撮ってくれた友達に感謝しながら、ワクワクした気持ちで徳島について、まだ寮が開いていない時期だったから、神山の知り合いの方のところに泊まって、3日間、かまパンバイトづくしの生活が始まった。
やっぱり楽しいな、と思ったし、地元も楽しかったけど、かまパンのカレーパンを食べたら、いや、やっぱ神山ももっと楽しいかも!と思った。
そこに住んでいる人たちや、当日急遽集まった人たちと食べたハンバーグも、すごく美味しかった。

入寮日の緊張。ワクワク。

日はすぐ経ち3月29日、入寮して、次の日に入寮する新入生は、どんな人なんだろう、とそわそわしながら、荷解きをした。多分、半年前の自分だったら、自分が持っていない能力や才能で抜かされるのが怖くて、純粋な歓迎の気持ちで、ちゃんと迎えいれることはできなかったと思う。
でも、持っていない能力なら補い合えばいいだけで、戦わなくていい。自分にも相手にも、得意なことと苦手なことと、好きなことがある。と、嫉妬するたびに何度も何度も乗り越えた1年間を過ごしたからこそ、新入生の入学がすごくすごく楽しみだった。

次の日、30日。いよいよ新入生が入寮してきた。どんな子なんだろう、知っているあの子はいるかな?とそわそわしながら、食堂に降りたり、その日にあったSP最終発表会の練習をした。
色々終わって、夜、新入生みんなでワークをやっている姿、荷解きやばい!と言っている姿に、私たちもそうだったな、とすごく懐かしくなったし、どんな入学式、どんな5年間を過ごすんだろうなと思った。

3月31日。入学式の日。

入学式の第一部、第二部が終わり、第三部では、新入生とのレクリエーションと、BBQがあった。話したいなと思いつつ、話しかけられないもどかしさを感じながら、それでも頑張って少し話し、美味しいお肉も食べて、そろそろ終わりだ、という時。
局長が、「1年間どうだった?」と話しかけてくれた。聞いてくれたことにびっくりしたけど、少し嬉しかった。

もう、何を伝えたかは忘れてしまったけど、これだけ伝えたことは覚えている。

「"落ち着いた"と言われたり、"地に足ついた"って言われたりするけど、それってただ自分に蓋をしているだけなんじゃないかな?って悩んでました。でも、新しい自分を知っただけだなって思って。」

春休み期間中、また怒涛の日々から時間ができるようになって、考えられる時間が増えたことで、1年を振り返りながら、色んな人に言われた言葉に、自分の気持ちを照らし合わせていた。
そして、「ひな子が、ひな子じゃなくなっちゃう」という言葉も、人伝に聞いて受け取って、自分がこの1年間、自分を変化させてきたことは、ただ自分に蓋をしているだけなんじゃないか?と思った。

何かあるたびにすぐ泣いて。
泣くこと、悩むことが武器で。
ワクワクいっぱいで、感情というエネルギーを爆発させることができて。
そのエネルギーで、どんなこともやろうとして。
感情の波がすごくあって。
笑顔いっぱいの、元気いっぱいの、"ワクワクハッピー!"という言葉が、似合いすぎるひな子は、もういない。と思った。

でも、神山に帰って、かまパンからのバイトの帰り道、ふと、そうじゃなくて、ただ新しい自分を見ただけだな、と思った。そんな気づきで、少し心が軽くなった。

そのことを伝えると、局長は、こんなことを言ってくれた。

「確かに、ひな子は落ち着いたと思うし、"落ち着いた"や"地に足ついた"という言葉は、自分に蓋をしたと捉えられるかもしれないけれど。前のひな子は、土台がないところで走っていたし、ジタバタしていたし、飛ぼうとしていたけれど、土台を固めたひな子は、もっともっと走れるし、飛べると思うから。今年も、きっとジタバタすると思うけど、楽しんで。」

1年間、いや、サマースクールの時から成長をずっと見守ってくれた局長だからこその言葉に、心の底から自分を肯定した。「新しい自分を見ただけだ」という気づきだけで全てを肯定できたわけではなかったから、局長の言葉は、自分を肯定する最後の後押しだった。

そして、もう一度、走り出してみようと思った。

不安になって立ち止まってしまっていたけれど、自分を一番信じられるのは、自分でいたいから。
自分の可能性を信じて、今までの自分も肯定して、もう一度、走り出してみようと思う。

「楽しかった」という言葉が、ただ出てくるだけの1年間ではなかった。楽しかったには収まりきらないくらいの、辛さと、葛藤がものすごくあった。

幸せも、嬉しさも、感謝も、後悔も、悲しさも、切なさも、全ての感情と体当たりした1年間。
本当に、よく泣いて、よく笑って、よく生きた!

今まで書いてきたこの1万を超える文字と、思い出の塊で、初めて、「楽しかった!」と言えるのだと思う。

そして、今。
新入生が持っているスキルや好奇心、同級生の活躍や挑戦、知らなかったスキルに刺激を受けながら、毎日を過ごしている。

この前、久しぶりにブレストをして、卒業時の自分のありたい姿を見つめ直した。

色々書いたけど、やっぱり、これだと思ったのは、
「モノを作る力で、コトを起こす人」。
それは、私が恋焦がれた学校の、目指す人物像。
モノを作ることへの苦手意識がまだある私が、できるか不安だけれど、興味はある。モノを作る人に、すごく憧れる。
へラルボニーの松田文登さん、崇弥さんや、SHIROの今井さんに本気で憧れる。
だから、私は、その人たちのように、卒業時になる。

ブレストをした後、一緒にやっていた友達と、自分の答えをふかぼっていたとき、2年生、3年生でやることを決めた。

・知らないことに飛び込んでみる
・3つの場所と、3つのモノに出会う。
そして、モノを作る。モノを作れるひな子になる!

3年生で、作ったモノで100人幸せにする!

今の自分ではできるか不安だけど、仲間に宣言したから。ワクワクしたから。絶対に、やろうと思う。

2年生も、ジタバタしながら、感情とぶつかって、壁を乗り越えて、自分を生きる。固めた土台で、やるべきことと、やりたいことを完遂する。

関わる全ての皆様、今年度も、よろしくお願いします!

大好きなカメラマンの澤さんが撮ってくれた写真。

【入学して最初の葛藤の話】

【インド研修の話】


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