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第10話「アメリカンなジェスチャー」(策謀篇・5) 西尾維新を読むことのホラーとサスペンス、ニンジャスレイヤー、そして批評家の立場と姿勢の話

前回はこちら。

(ご注意・画像と本文は一切関係ありません。また、登場人物や組織の実名は伏せられている場合があります。そして、明かしづらい内容は不明瞭な表現となっている場合があります)


(これまでのあらすじ・男が語る過去。それは地雷でしかないと判明したある人物との驚愕のやりとりであった)

初対面から一夜明けて翌日だったと思うのだが、「過渡期の人」(仮称)との2度目の会見の日を定めるにあたって、かなり早い段階で、とりあえず来週、という方針が決まった。前日に求められた修正点は決定的な部分でもあるのだが規模自体は大きくなく、作業的に1週間も必要ないことが明らかだったが、もう過渡期の人(地雷)に期待することそのものが全くの無駄、望み薄どころか絶望しかないと思えていたので、即日修正して翌日に再訪問という気合いの入れ方をする気になれず、むしろゆるい対応をしてみることでひとつのシグナルを発することもできるのではないか、という思いつきに傾きつつあった。

それだけでなく、事前調査で把握していた「九龍」(仮称)関連施設の動向と過渡期の人(地雷)の来訪タイミング、そして会見初日の不自然な立ち回りから、翌週だが1週間を過ぎた辺りにおあつらえむきな予定があったため、その日を会見2日目とすることにした。

本来なら文書の性質からしてそれ用に部外者立ち入り禁止の部屋で十分な時間打ち合わせするといった対応を取るケースのはずなのだが、予定のすり合わせどころか連絡先さえ尋ねられなかった(こちらも訊き損なったのは失態だった)。窓口になる担当者など、当然いない。九龍関連施設に約束もなく出向くというこの情報社会にしては原始的な方法によって再アプローチを図るしかない状況である。

とても歓迎されているとは思えない。

そして時は流れ、当日夕方、会見初日の僕の発言がパクられた。ああ、この人駄目だな。そう思えたのは、元々2010年の段階で僕のブログをエゴサーチで捕捉していたらしい過渡期の人(地雷)がそれ以後僕がマイナーな存在なのをいいことに時折パクっているのに気づいていたからだ。そして会見初日の、取り巻きばかりで証拠も残せない(録音したら盗聴だ)状況、発言を安全にパクれるシチュエーションでの不自然な振る舞いから、パクれるネタを寄越せという意図が窺えたからなのだった。

とはいえ。この事態を予想はしていた、とはいえ、だ。それでも僕がこの場にわざわざ足を運んだのは、それでも構わない、という思惑がないわけではなかった。条件次第で。そう、ネタと、話題と、コネと、価値と、評判と、実利とを、九龍に与える代わりに、それに見合った好条件や高報酬が提示されれば。ネタをパクらせ、話題を差し出し、顔を繋ぎ、組織に価値を付加し、世間の評判を高め、関係者も含めて利益を上げてもらっても、それはそれでそういう仕事なのだからと納得できたのだと思う(少なくとも納得の上了承するつもりではあった)。そこで次のポイントは条件がどのようなものかだ。

会見初日はムードこそ和やかだったものの内実は厳しいもので、過渡期の人(地雷)への限りない気遣いを周囲が怠らなかった結果としての和やかさに過ぎず、僕への風当たりがさほど強く見えなかったのはあくまでの表面での印象でしかなかった。雰囲気で誤魔化そうとしているのであれば、むしろ条件は悪いのだ。今になって考えてみると、こんな相手が一体どのような条件を提示すると言うのだろう、と首を傾げたくなるが、だがこの時はまだ、何かしらの状況を整えるなりこちらが条件を満たすなりすることで相手は状況を進展させようとしてくるはずではと想定していた。まさか最後まで率直な提示をせず、形式的には僕が自主的に率先して、実際には過渡期の人(地雷)の各種要求に無報酬で応え続けるよう暗に要求し続けるつもりであるとは夢にも思わなかった。そんなこと、話がうま過ぎるではないか。

つまるところ、僕が望んで過渡期の人(地雷)に師事し奉仕するよう仕向け、馴らし、奴隷化しようという目的だったと思うのだが、僕自身は文書の効力が発揮されればよかったのであって誰かに師事することなど考えておらず、そしてその事はかつて「九龍工場化計画」(仮称)というエサなしの釣り針を避け、自力で文書を書き上げる水準に達する事によって十分に示したはずだったのだけれども、ともあれ僕はこのとき、過渡期の人(地雷)がどのようなものであれ条件を口に出すつもりでいるはずだと推定していた。

結果から言うと、その日修正した文書が読まれることはなかった。それだけでなく「君の書いてきたものはもう読まない」という意味合いの宣言があった。

説明しよう。過渡期の人(地雷)がパクリ台詞でキメてから3時間半程経過した頃、僕はそろそろ頃合いかな、と感じていた。夕方の7時に九龍関連施設を訪問した時点から計算すると5時間程になる。言うまでもなく、深夜12時近く。過渡期の人(地雷)は他の訪問客を相手になんと5時間ノンストップで喋りまくっていた。訪問客も負けず劣らずお喋り好きな様子で、冗談でなくこちらが口を挟む隙もない。割り込むための間が一切ない。2時間、3時間と過ぎていく間はまだよかった。4時間を過ぎてまだ続いている中で、僕はそろそろ虚しさを覚えてきていたと思う。

というのは、話がとにかくつまらなかったからだ。大して興味ある内容でもなく、といって話者にそこまでの関心もない。話題にも人物にもフックがなく、さっさと文書読んでくれないか、こっちは朝7時から起きててもう眠いんだ、さっきパクってうまくやったんだからそろそろこっちに水を向けるぐらいしたらどうだ、先週の今日とはいえ僕の顔を忘れたわけじゃないだろう、「直してきたら読む」という約束はしたのだし、そもそもこの人地雷だし、よっぽど良い待遇用意してくれるんだろうな、でないと初対面で洗脳自慢するような奴の弟子の振りなんて割に合わないぞ、たとえばそう、深夜12時近く、ここに残っているのはもう幾人かの著名人と彼らに関心のある人達という状況の中で、空気を読まずに文書を読む約束を切り出して、場の雰囲気がどうなったとしてもまず文書を優先するくらいに優待してくれるのでなければ地雷と長い付き合いする気なんて起きないぞ……。

切り出した結果は既に書いたので、書ける限りの過程を記しておこうと思う。まず、5時間もの間、僅かな間さえ空けず喋りっぱだった人達がようやく空けたほんの少しの間を突いて、僕が切り出す。場全体が「おいおい空気読めよ」調でどよめき、過渡期の人(地雷)も苦笑いしながら「じゃあちょっと置いてってよ」と言いかける。その「置いてって」のあたりで、送付しても「読んでない」と答えたのだから文書は先日同様この場でPDFで読む手筈ではないのか、と僕が怪訝そうな顔をする(実際は読んでいたとしてもその振りは続ける、加えてその設定であれば紙束で渡したところで読まれる保証はないので現場で読ませることになる)。それに気付いた過渡期の人(地雷)が読むスピードの差から先日のイカサマがバレる危険を察知(これは推測)、言いかけた「置いてってよ」を飲み込み場の空気に乗る方向に態度を切り替える。「もう読まない」と宣言(具体的な文言は記憶しているが表記しない)。だけでなく、「いやぁ、君。それはダメだよ~」と両手を大きく広げるアメリカンなジェスチャーを交えて追い打ちをかけ、更にテーブルに頬杖をついて斜め上を見上げながら口を開け「ポカーン」という擬音を漂わせるかのような顔芸で僕をバカにする。

全く優遇する気がない。それどころか、向こうから関係を断ち切ってきた。その上必要もないのに無遠慮に踏みにじった(これにはトリックが露見する危険を感じたが故の怯えから過剰な仕打ちに至ったのではないかとも今では思えるが、事実としてはやったことは変わらない)。

それでも僕はしばらくその場に留まり、過渡期の人(地雷)の反応を窺った。いつかフォローでもしてくるものなのかと待ってみたのだが、結局20分程してだったか、特にアフターケアが来る徴候も見えなかったのでその場を離れた。深夜12時過ぎ、終電も終わった後のその地で、僕はより自宅に近い駅のある方向に向かって夜の街を歩き始めた。街灯が照らす大通り、あまりの仕打ちに眠気はとっくに吹っ飛び、怒りが脚を動かし続けた。


(第11話に続く)

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