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真実

「真実こそが人を癒す」

100年以上前の医者でもあり、作家でもあるチェーホフの言葉。

この「真実」って何んなのか?

自分の外に何か真理があるのだろうと哲学書なんかを読み漁り、偉いと言われている人たちの話を聞き…そうかそうかと思いつつも、私にとってはどこか絵に描いた餅。

リンゴ1つをみても、AさんとBさんとでは見え方が違う。Aさんは、リンゴで小さな頃、トラウマにあって命に関わるレベルで恐怖を感じる物という真実感覚があるし、Bさんにとっては病気の時に唯一、忙しいお母さんがリンゴをすって食べさせてくれた物。となれば、自分を育む愛を感じる優しい物。という真実感覚がある。

同じ人について、受け止めてる真実も人によって様々。え?!そんな人なの?知らなかった。という感覚は誰にでもあるもの…

この、人それぞれの真実がそうか?というと、それは、どれもが消えてなくなるもの。真実って、消えてなくなるくらいのもんなん?と言われると、個人的なものを尊重したい感覚はあれども、そうではないという感覚も否めない。

そんな個人的なものの中でも、何か古典文学などの中や絵画の中などそんなものの中には、多くの人の心が動かされるものが書かれている。その何かその辺に真実はありそうだ。

真実は人を変える。

人を動かす瞬間が生活の中にもある。

下北沢の駅がきれいになる前、電車とホームの間が空いていた。電車に乗り込もうと思った瞬間、「助けて!電車を止めて!」という声が全てを止めた。時空が剪断された一瞬その場の誰もが止まった。電車も止まった。数分後、ホームの隙間から小さな男の子が救い出され、声の主である母親の手に戻された。全てを止めた力があった。

私は親との葛藤があった。二十代後半でその問題は私の生きにくさにのしかかり、八方塞がれていた。何度も何度もぶつかった。取り戻せない幼少期を取り戻したかったものだから、タチが悪い。年老いた親には今更どうすることもできなかった。でも、私もどうすることもできず、子供の頃からの疑問や不信をぶつけていた。母親と対戦状況真っ只中のある時、新幹線で東京に戻るホーム、ベルがなって閉まる間際に彼女が苛立ちを抑えポツリと、でも力強く彼女の本心を語った。その響きで泣いた。新幹線の中で二十何年か分泣いた。そこから何かが変わった。私は私の問題として解決すること、自分で生きることを決意した。

人は真実を求めている。

人間関係で問題が起きる。事実としては別にどうでもいいのだが、誤解されているのがどうにもこうにも納得がいかないで眠れなかった。相手の言ってることとやってることが違っていてその嘘を認めていない相手の狡さに冷戦状態を続けてしまった。なんてことが最近あった。よくよく、考えてみると根底には「本当をはっきりさせたい」ということがある。それが提示されないがためにぐちゃぐちゃと事は複雑に悪化したりする。複雑化するのは大抵エゴだ。

人はいつでも真実を求めている。そこに何か大事なものがあることを知っている。テレビでは誰かの不正について暴かれ、論議され、嘘を指摘する。家族の中で口喧嘩の中、求めているのは相手の誠意や正直さだ。日本ではその昔、自分の潔白を死を持って証明していた。子供は、親の嘘に目を瞑り、思春期の頃その嘘を投げつける。どれもこれも真実を奥深くで求めてる。それほどに真実は人にとって大事なものだ。

なぜ真実が大事なのか?

真実の力は大きなものがある。人を慰め、人を癒やし、育て、思いを浄化し、生きる力をくれたりする。魂、精神に作用するものがある。

古代から真実のエネルギーは、善、美、真理、宇宙のエネルギーと同一と言われている。哲学で求められる真理。芸術で大事にされる美。宗教的なことで尊ばれる善。それらの人への影響を考えてみたら頷ける。古代ギリシャではそららを人の癒し、治療に使っていた。それを直感的には誰しもが知っている。現実世界を通してそれにたどり着こうとしている。きっと、いつでも。

個人的な真実はその残り香、エッセンスを発している。見える世界の方が人は捉えやすいので理解可能なものばかりが大事にされる。いつのまにか真実は科学という形に変わってしまっているところもある。けれど本質はその奥。形になる前。形の奥の見えないものにありそうだ。

真実の純粋性

個人的な真実には、色々と不純物質が入りやすい。こんなこと言ったら恥ずかしいとか嫌われるなどの思いは、真実をにごらせる。社会が純粋性を拒む時代だ。純粋な思いが伝わらず傷ついた経験は誰しも持っている。こんなこと言ってもどうせ…と諦め皮肉的に真実を語っても届きにくい。心からの真実を伝えるにはある勇気が必要な時代なのかもしれない。

真実の生まれる条件。「自分を忘れた時、助けはやってくる」

そのエネルギーが生まれる時、一つの条件がある。それは、

自分を忘れていること。マインドから自由な時。

である。

何かに夢中になっている時。相手のために集中している時。自分のことを忘れて対象に向かっている時にそれは起こる。その時、人は自分を超えた大きなものと繋がっている。ただ、その大きなものの媒介になっている。

そうやって、芸術も真理の閃きも起こる。奇跡と呼ばれる治療も起こる。癒しも起こる。創造も起こる。

たった一滴の子供の涙が世界を変えることもある。

真実の響きを感じ、真実の響きを発していたい。

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