「永訣は日々のなかにある。」

 学生の身分でいられるのも残り2ヶ月、東京生活は残り3週間ということで、物思いにふける日々です。最近は完全に昼夜逆転で、深夜に起きているせいで余計に感傷的になっている気がする。しかし、感慨深く思い出すほど、学生生活も東京生活も一生懸命だったわけでは全くない。けっこういい加減に、ぐうたらぼんやり過ごしていた。無気力すぎて定期を作らなかった期間すらあったくせに、「学生の身分でいられるのも残り2ヶ月、東京生活は残り3週間」とかどの口が言ってるの。

 タイトルは、茨木のり子さんのエッセイ集『一本の茎の上に』の、「花一輪といえども」の中の一文。「日々の出会いを雑に扱いながら、永訣の儀式には最高の哀しみで立ち会おうとする人間とはいったい何だろうか?」と続くのだが、いやはや本当に、ぐうの音も出ません。

 「死を前にしてはじめて生を思う、人間の軽薄」とは、黒澤明『生きる』の予告編にある言葉ですが、ありふれた日常を慈しむような生き方が、これまで出来たためしがない。いつも物事の終わりを意識する段になってようやく目の前の人や物事を思うことができる。学生のうちはそれでも、勝手に区切りがやってくるのだけど、これから何十年と、漫然と過ごしてしまうのではないかという気がしてならない。


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