安倍元首相銃撃に関して

 言葉も出ないとはこういう状態を言うのかと痛感しながら昨日今日と過ごした。大きな事件があったすぐ後にあれこれ書いてもあまりろくなことにはならないと思いつつ、やはりこれほどの出来事を前にすると、今感じたこと考えたことを記しておきたくなった。

 新聞各紙やテレビは、言論封殺だ民主主義の危機だと報じたけど、今回の事件をそう位置づけるのは違和感がある。これは多くの人が感じているところではないかと思うけれども。
 現代日本で白昼堂々、人が銃撃されたこと/撃たれたのが政治家であったこと/その政治家が安倍氏であったこと/安倍氏が首相経験者であったこと/政治家としての功罪/国政選挙期間中の出来事であったこと/街頭演説の最中だったこと…など、これらは分けて語られるべき。この分類で良いのかも良く分からんけど。
 メディアの言う「民主主義の危機」が、事件の中のどの要素についてのものなのか判然としない。というか、事件の全容が解明されていない状況でテロだなんだと鼻息荒く言い切ってしまうのは拙速でしょう。動機が本当に宗教関連ならなおさら、言論封殺というのはちょっと違うかなと思う。

 あるいは、他者と対話し共生の道を模索し続けることを民主主義と定義するのなら、気に入らない相手を殺したという点で、民主主義の危機と言えるのかもしれない。だけどそもそもこの国は成熟した民主主義国家ではないので、今回の事件に限らずもうずっとずっと前から危機ですわ。危機というか機能していた時代も無いんじゃないか。あとは、民主主義こそが素晴らしいと声高に主張することは、民主主義の成熟を遠ざけるということを肝に銘じておかなければならないと思う。

 それから、故人を偲ぶことと政治家としての功罪は切り離して論じるべきでしょう。安倍政権の検証は別に今でなくても良いわけで。
 安倍政権の功罪をきちんと見極めて歴史の中に位置づけたいというのは事件前から思っていたことで、それは何かというと私が2010年代に中学から大学時代を過ごしたことの意味を、自分なりに整理しておきたい。このへんはあんまりうまく言えない。
 思想信条、と言えるほどのものではないけれど、より良い社会とはどういうものか、どんな社会を生きたいか、社会の一員として自分はどうあるべきかというのを自分なりにずっと考えてきたし、これから変わっていくかもしれないけど現時点で答えも持っている。安倍政権の在り方は政策面でも政治姿勢でもそれとは違っていたというのは確か。
 繰り返すけどこれは別に今考えなければいけないことではないし、むしろ今ではない方が良いのかもしれない。

  懸念されるのは事件を機に右傾化することと安倍氏が神格化されることの2点。世の中がどういう方向に変わっていくのか冷静に注視したい。
 やっぱり混乱していて、一個人としても報道に携わる一人としても、今何をすべきか、考えるべきかが分からない。仕事に関して思うところはいろいろあるけどそれはそれでまた書く。


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