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目に見えにくいこと


今日は朝から人権教育の講義を受けていました。
そこで、偏見の意味を改めて調べました。

偏見:相手に対する十分な情報がないにもかかわらず、善悪や好き嫌いを判断する凝り固まった意識

改めて偏見という言葉の意味を考えると、本当にその通りだなと思うのですが、「相手を十分に知らないのに勝手にそう思ってしまっている」って実は思っているより日常にたくさんあると思うのです。

たとえば、ベビーカーに4〜5歳の子が乗っていて、わたしは今までは、歩けるのに甘やかしてはるなぁと思っていました。ですが、それはもしかしたらベビーカーに見えるだけで子供用の車椅子かもしれないのです。
子供用の車椅子がベビーカーに似ているという話はわたしも最近テレビで見て知りました。自分の常識がそうでない場合、目に見えにくいことというのはたくさん他にもあると思います。

こうした「勘違い」はときには誰かを傷つけてしまうこともあります。

わたしはうつ病に17歳の時からかかっていますが、うつ病というのもぱっと見わからない病気の一つです。わたしも急にしんどくなって優先座席を使わせてもらったことも実際何度かありますがそれも目に見えてはわかりにくかったはずです。
またこうした精神疾患は甘えだという考えの人も少なからずまだいます。
それらのことが起きてしまうのは本当にうつ病という病気を知らないからだと思うのです。

わたしは自分がそのような病気にかかったこともあり、誰かが自分の中で「なんでやろ?」ということをしていてもとりあえずまず「なにかわたしが知らない理由があるのかもしれない」と考えるようにしています。
それは本当に何か理由がなかった場合でも、その時の「なんでそんなことするんだろう」というもやもやした気持ちを抑えられる効果もあります。

わたしは「目に見えにくい事情」というものをもっと学べる機会があったらいいのになと思います。
さっきの車椅子の話や、うつ病の話、まだお腹が目立たない妊婦さんの話など、もっと目に見えにくいことが共有される場が増えたらいいなと思いました。


講義では他人の人権について考えるということをしました。自分に人権があるのはもちろん、他者にもそれはあって当たり前のものです。

ネットでの誹謗中傷などが問題視されていますが、言論の自由というものも保証されているのも事実です。他者について何か思うのも自由ですが他者のことを全て分かっているかというと近しい間柄でもそうではないはずです。ネットで書き込む前に、相手に伝える前に、「なにか本当は見えてないことがあるんじゃないかな」って考えることはとても大事だと思います。

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