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「好きな漫画家: 山本直樹」と答えることに抵抗があるのって変な話なんだよね

こんなことを言ったらご本人はお怒りになるかもしれんが、わたしは、山本直樹先生をエロ漫画家だとは思っていないし、彼の作品はエロ漫画に振り切ったものではないと思っている。

「エロ漫画を描きたい」みたいな発言は随所でしているから、多分そのつもりで描いているのだとは思う。しかしわたしは山本先生の作品をエロ漫画的消費の仕方をしたことはあんまりない。それが彼の望んでいることなのか否かは知らない。あとこの世のエロ漫画は結構情緒的だったりする。たまに。

だから、「好きな漫画家」として古谷実先生やいがらしみきお先生、岡崎京子先生と同じように名前をあげたい、と常日頃思っている。

でも、例えば会社のプロフィールシートみたいなやつに、好きな漫画家:山本直樹 と書くのはなんとなく気が引けてしまう。
「なんでだよ!」って思いながら、毎回気が引けてしまう。

この世には、そういう露わなコンテンツが苦手な人が存在している。それは好みの問題なので別に良い。そういう人が、へぇ、どんな漫画家なんだろう、と検索して嫌な気持ちにならないかなぁ、というのがまずある。

「いやお前のプロフィールに書かれた作家なんて調べねえよ!」

と、思われるかもしれないが、わたしは調べる。笑 気になった人がどんなものを読んで、見て、ここまで生きてきたのか、というのは単純に面白いし、その人を読み解くにはもってこい。調べるに決まっている。

なんなら、山本先生を知ったのも「松尾スズキ先生(の奥様)が好きな漫画家だ、とエッセイに書いてあったから」であった。
だってみんなそういうふうに開拓するでしょ?

もう一つは、分かってる人に「エロ漫画家をプロフィールに書いてるこいつ、、、」と思われるのはなんか嫌だから、というのがある。
これはいわゆる「自意識過剰」というやつだと思う。でもね、自意識過剰ってなんで起こるかって、他意識が過剰だからなんだよ。

「うわこの人ここにこんなこと書いてる」
「え〜その回答するかね?」
「つまらん人だと思われるなとか思わなかったんかな?」
とめちゃくちゃ他人のことを見ている。
それと同時に、自分のこともメタ的に見ている。

でも、他人はそんなに私のことを見ていない。だからなんにせよ、別に「好きな漫画家: 山本直樹」と書いていいと思うのよね。なんだか変な気持ちになるなぁ。

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山本直樹先生の漫画の好きなところは、大きなオチが特にないところ。人生って、別にいつも起承転結があるわけじゃないじゃない?ながーーーーーい「生活」のなかにちょっとしたドラマがあったりなかったりするものじゃない?そしてそれはいつも明るくなくて、基本暗くて絶望的で、でもそれでも生きていかなくちゃいけない。その中で誰かのことを好きになったりならなかったり、セックスしたりしなかったりするわけじゃない?そしてみんな、いつかは死ぬ。そういうことが端的に表されている短編が多くて、とっても好き。

こういう作品だけを食ってこれから生きていきたいんだ。

実験的な作品も多くて、構図がかっこよい。
海の見える田舎の街で、夏に致す場面は(よく出てくるんだけど)、海と汗と体の匂いがこちらまで伝わってくるような、熱と粘度の高いもので、たまらなく好き。

まだまだ読んでいない作品はたくさんあるけど、今のところ好きなのは「BLUE」に収録されている「なんてったって7days」という作品。私が持ってるのは弓立社版なんだけど(ちょっとした自慢)(自慢にもならん自慢)、他だと収録作品違うのかな、、、?もちろん「BLUE」も超いいです、、、、、、。

あとほとんど同じ理由で、好きなお笑い芸人の回答として「相席スタート」をあげづらい。かれこれ8年?くらい応援してるんですけど、、、

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。