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「書くということ」

「書く」とはあなたにとって何ですか?と聞かれたら何と答えるか、お題を最初に見た日から考えている。答えなど到底出ないが、答えらしきものの一つは「生きるために必要なこと」である。


親の真似事をしたがる時期、わたしはしきりに文字を書きたがったらしい。親が使っているペンで、親が使っている紙に。まるでアラビア文字のような、蛇が這いずり回っているようなその「文字」がわたしにとっての「書く」の原点なのである。

祖父が絵本作家もやっていたので、お年玉には本が贈られた。小学校を卒業するまで続いた。福音館書店の配本サービスも利用していた。家には絵本が溢れた。絵本や本をよく読む子に育った。

小学校のわたしは作文クイーンだった。質はどうであれ、とにかく量を書くことができた。まるで喋るように文字を書くのが楽しかった。文章を書くのが楽しかったのか、文字を書くのが楽しかったのかは覚えていないが、ただ書き写すだけの硬筆はあまり好きではなかった気がする。

わたしの「処女作」は幼稚園年長か小学校1年生くらいの時に誕生した。「おみこしうんどうかい」という話で、四つくらいの御神輿が競争をするお祭りを家族で見にいくという話だった。起承転結がシンプルで、よくできた創作だなと今でも思う。

中学に上がると、吹奏楽に一生懸命になり「読む」ことからは遠ざかった。
反対に「書く」ことは進んだ。3年間、学級委員で書記をやり続けた。おかげで黒板にきれいに速く書くことができるようになった。これは教育実習で大いに役立ったが、これから電子黒板が主流になったらいらないスキルだろう。少し悲しい。

Twitterという文化を知った。当時は自分でツイートすることはできなかったが、好きなバンドマンのツイートはブラウザで毎日チェックした。その代わり、授業中は机の上にいつも紙切れを置いて、そこにツイートをめいたものを書いていた。

好きなバンドのメンバーや曲を羅列したり、好きな歌詞の一部を書いたりもした。その時は単純に「文字を書く」ことが楽しかったのだと思う。
一方で、自分の頭の中に溢れて止まらない言葉をどこかに吐き出さないと、考えが腐ってしまいそうだったことも覚えている。

あの頃からだ。
頭が言葉でいっぱいいっぱいになってしまう感覚を覚えているのは。

どうやら、頭のなかで喋りながら考え事をしているらしい。それは発音したり文字にしたりしないと、頭の中でトグロを巻いて、腐って、耳から出てきてしまいそうなのだ。

わたしの「つぶやき」が書かれた紙切れは溜まっていった。


その頃「書いて」いたものがもう一つある。
音楽雑誌のようなものを書いていた。一枚のチラシのようなものだが、1年間くらいは毎月ちゃんと書いていた気がする。誰かに見せるでもなく、新しく知ったバンドの音源のことやテレビで見たライブ映像のことなどを書いた。

高校に上がるとすぐにTwitterとブログを始めた。
頭に溢れて止まらない言葉は、自分が考えているのと同じくらいの速度でスマホで打つことができてとても便利だった。
創作も含んで文章をたくさん書く選択授業をとっていた。高校3年生の時は、国語か英語か音楽しかやっていないようなものだった。

文学部に進学したわたしの生活は「読む」と「書く」で溢れた。
しかし自分で物語を紡ごうとはしなかった。
初めて「創った」のは大学2年生。留学直前だった。
自分の中でもやもやしているものを、自分で文字にして昇華して解決したかった。「書ける」と気づいた。

留学中、英語でたくさんエッセイを書いた。
自分の気持ちも、客観的な批評も両方書いた。文法を意識するから、かなりわかりやすい文章が書ける。自然と日本語力も上がった。

留学は実は結構ヒマだった。有り余る時間と多すぎるインプット、そして少なすぎる母国語によるアウトプットの機会。そしてラーメンズとの出会い。わたしは「創作」を始めた。結局サークルに作品を書いた。サークルで上演した三本のうち二本の原案や本そのものはアメリカで書かれたものだった。

帰国したら英語のレポートをとても褒められた。”鬼単”と言われる先生のライティングの授業で100点をもらってAAを取った。日本語のレポートの点数も格段に上がった。noteもはじめて、ようやく自分が「書くこと」が好きで得意なのだと気づいた。

と、同時に帰国後は本をたくさん読むようになった。
読書かTwitterか執筆のどれかをしている時間が圧倒的に多くなった。
わたしはスマホ依存症気味だからTwitterを手放せないのだと思っていた。
しかしあるとき気づいた。本読んでるとき、別にスマホいらねえ、と。

活字中毒気味なのであった。

わたしにとってスマホは「文字を見る機械」であるということに気づいた。
そういえば、ボーッとしている時も自然に文字に目がいく。居酒屋のメニューとか、ペットボトルのラベルの成分表示とか、机の上に何となく置いてある新聞とか。落ち着かない夜は、無作為の言葉が流れてくるだけのサイトで文字を眺めながら髪の毛を乾かしたりする。文字を見ていると安心するらしい。

今考えれば、絵本も親が読み上げる文字を一緒に読んでいたような気がする。
認知の時に圧倒的に視覚優位なのは何となくわかっていたが、それ以上に文字優位であるらしい。そらラジオ苦手ですわ。そら「大豆田とわ子〜」を見ながら「これ本で読みたい」って言うわ。

坂元裕二脚本って文字で読みたくない?あと山田太一。
クドカンはドラマで見たいけど。

そのくせ、読む時は全部頭の中で読み上げているから読むのがひたすらに遅い。脚本家の本ほど早く読み進む。


「書く」からは離れてしまったが、要はわたしの人生は「文字」とともにあった。

頭の中で同時多発的に発生する思考や言葉を整理してどうにかアウトプットしないと落ち着かないし、溶けて耳から出てきてしまいそうなのだ。部屋や枕元はメモに溢れている。To Doも全部文字にしないとだめ。舞台の本番中は台本や小さいメモ帳にどんな些細なこともメモしていた。予定も文字になっていないと落ち着かない。しかも手で書かないと整理できない。いまだにスケジュール帳は手帳だ。スマホでどうしても管理できない。不便なんだけど。

どれもこれも「放って置いたら溶けそう」という感覚ゆえなのだ。


それほど「書く・読む」ことに依存し、書くことが大好きで、書くことが全く苦ではないわたしだが、書くことを生業にすることにとても抵抗がある。それで食っていくつもりは、今のところはない。そういう人生があってもいいとは思うけど。

なぜなら、その覚悟がないからだ。

自分は書かれた言葉に勇気づけられたり、いい意味で人生を変えられたり、心を動かされたりした瞬間をたくさん知っている。
それと同じくらい、またはそれより多く、書かれた言葉に傷つけられたこともある。

自分が書けば、きっと誰かの明日の生きる糧になることは知っている。
サークルで「創る」という行為をしてわかった。
「わたしの世界は変わりました」と何人もの人に言われた。
でもきっと、わたしの言葉に傷つけられた仲間も山ほどいる。

わたしは他人の心や人生を、預かり知らぬところで、仕事として、傷つけてしまう覚悟がない。
誰も傷つかない創作なんてこの世にはない。
そんなことはわかっている、でもそれで傷ついて、人生をやめてしまったり何かを諦めてしまうことを助長する覚悟がない。ましてやそれで食っていくことなどできない。

わたしは音楽とか、エンタメのことを一番好きだと思っていた。
一番好きなことは仕事にしたくなかった。嫌いになりたくないから。
でも就活でレコード会社ばっかり受けている自分に驚いた(結局エンタメの仕事には就けなかったけど)。

しかし出版系の会社にはエントリーもしなかった。
もしかして、本当に好きで嫌いになりたくないのは「書くこと」なのかもしれない。


もし何かのきっかけで人生が大きく変わって、書くことで食うことがどこかであるかもしれない。それはそれで受け入れたいけれど、書くことに対する覚悟ができた時だけ、それを択びとると思う。

わたしのnoteは、覚悟のない一人の人間の、ただのつぶやきです。
でも、書くって、ネットって、そういうものだと思っている。
もし、もしも、誰か一人でも、わたしの思考が居場所になるなら、それほど幸せなことはありません。


#3000文字チャレンジ が終わる。
わたしは過去三回、脚本という形で参加した。
ブロガーという実態がいまだによくわかっていないが、お題に沿って何かを創るというのは楽しかった。たまにのぞいては参加させてもらった。
脚本という形にしたのは、ただ目立ちたかったから。笑
たくさんの人に読んでいただけて、幸せでした。


これからも、わたしは自分を腐らせないために「書く」ことをやめない。
他ならぬ自分のためだけれど、せっかく誰かの目に触れるのであれば、誰かの背中を押せたり居場所になれたりしたらいいなと思う。

「あなたの言葉が好きです」と言ってくれるすべての人に感謝を込めて。
懲りずにまた、読んでください。


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いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。