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International Women's Day 2024

女性と、
自分が女性だと思っているすべての人と、
女性の体を持っているすべての人と、
女性として生きてきてしまった人と、
女性として誇りを持って生きている人と、
女性として生きざるをえない人、
とにかく「すべての」女性へ、
Happy International Women's day!

最近、なんやかの番組の違法アップロードで、ジェンダーだかセックスフルイッドだかXジェンダーだかクイアだかの人が少し馬鹿にされたような文脈で取り上げられたツイートを見た。起きた気分によって自分の性別(すみませんジェンダーだかセックスだったかは覚えていません)を選ぶ人の話だった。勇気を持って自分のセクシュアリティを公共の電波に乗せたのに、そういう文脈で取り上げられてしまうのは、承知しているリスクのうちだと思うけどやっぱりちょっと嫌だった。

ぼくは、体は女性で好きになるのも性的に興味を抱く対象も男性のヘテロセクシュアルだけど、ジェンダーに関しては「どっちってあんまり言いたくねえなあ」みたいなスタンスで生きている。その説明すると長えアイデンティティに名前がついていると知った時、とても安心したのを覚えている。何かが間違っているわけではないのだ。

だから特に憚られない場面では、ジェンダーフルイッドみたいな感じ、と言っている。

昨日と、今日と、明日と、明後日と、2年前と5年後は、全然違う性別で生きているし、性別という概念をできるだけ取り去ったところにいる。

これはぼくに限った話だけど、朝起きた調子で今日はなんかめっちゃ女だわ!とかどっちでもねえ感じでいてえと思うだけであって、社会がそれに合わせてこういうふうに変化してくれ、と思うことは一つもない。そういう存在がこの世にいることで、他の誰かに迷惑をかけているのであれば工夫したいが、多分ないよな。

変わってほしいこととしては、ぼくの友人が、好きな人と法律上の夫婦になれるように同性婚の法整備をしてほしいなあとか、日本の「姓」の多様性を失わないために夫婦別姓を叶えてほしいなあとかそのくらい。これらはただ単に「選択肢が増えるだけ」であって、現状ある選択肢を選びたい人は変わらずそちらを選べばいいだけの話。

性別なんて考えがなくなればいい、それが自分にとって目指したい世界だと思ったこともある。でも、この世には自分が女性/男性と思うことがアイデンティティの人もいるから、自分が求めているものは平和ではないと気づいた。ぼくの平和は、みんなの平和ではない。選択肢ができるだけ多くて、どの選択肢も安全に選ぶことができるのが一つの平和な世界の形だと思う。

まあなんか、何が言いたいかというと、放っておいてくれないかね。
と思っている人は結構この世の中にいっぱいいる。
放っておいてくれて、全然いい。ただ、法律の中には入れてほしい。
法律の内側にいるぼくが何かを言っても、なんかあんまり意味はないんだろうけど。

ぼくが日本で、アメリカで、学校で、社会で、インターネットで、友達との対話で、創作で、日本語で、英語で、たくさんもがいて得られた居場所が「ジェンダーフルイッド」という単語だった。

誰かが掲げる、人によっては聞いたことのないアイデンティティはその人が頑張って見つけた居場所だから。そーっとしておかないか。
知りたいのであれば、罵るのではなく優しく聞いてみたらいいのではないか。理解できないなら攻撃しないでおいてくれないか。怖いなら、気持ちが悪いなら、近づかないでおいてくれないか。そうしたら、こちらも近づかないので。ちょっと悲しいけどね。

今日は、すべての女性が祝われる1日。
女性の体を持って生まれてきただけで虐げられていた時代の人々が獲得してくれた、今自分に与えられている権利に感謝して、
すべての「女性」に乾杯。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。