カート・コバーンは27clubに入れているか?
27clubという考え方がすきだ。
27歳になったその日から1年間は、毎日死に至る理由があるだろうな、と思っている。
カート・コバーンは1994年に自ら銃で頭を撃ち抜いて、この世を去った。
27歳だった。
誰もが認める27clubのメンバーだ、
と思っていた。
大槻ケンヂさんの「猫を背負って街を出ろ!」というエッセイ集(初出は「エッセイ SR311」)の最初に収録されていた話はカート・コバーンの自死についてだった。
そこには、カートが選んだ選択肢に対して痛烈な言葉が並んでいた。
結局はただの「お仕事」にすぎないロック。世俗のアカにどっぷりそまり、過激なはずのメッセージが形骸化するその前に、死によってこの世とおさらばすること以上に、ロックスターとしての美しいイメージを半永久的に保つ手段はない。
しかし、若死にしたから神様・・・なんてそんなアホなことがあるものか。若死にしようが百まで生きようが、人は人にすぎない。(8)
夭逝のロッカーを神格化してアガメタテマツル連中はもの知らずのバカだ。
(9)
カート、君は自意識過剰のガキだ。そしてヒキョウ者だ。(9)
自死という選択肢の是非を問いたいわけでもないし、自死を選んだ全ての人に対して何かを言いたいわけではない。わたしは、個人的に自死は一つの選択肢であると思っている。
でも、確かに「思ってたんと違う!僕がやりたかったのはこんな商売ロックじゃない!」と駄々をこねた挙句、自分の頭を銃で撃ち抜いたのだとしたら、それは少々、ずるいかもしれない。みんなみんな、納得のいかないいろいろなことに折り合いをつけて日々を頑張っている。
僕は、自殺というヒキョウな手段で自分に忠実たらんとしたした君より、たとえ売れなくても、ドサまわりの日々であろうとも、なんとか生き長らえてやろうと試みている多くのロッカーたちを断固支持する。(10)
だとしたら、カートは、27clubの扉を開けることができているのだろうか?
27clubには自死を選んだミュージシャンやアーティストも多く含まれている、と考えられている。
その人たちを伝説としてしまうのはオーケン曰く「バカどもの白昼夢」なのかもしれない。
もしかしたら、天国の27clubの前で、屈強なガードマンに見張られながら"Smells Like Teeen Spirit"のギターリフを永遠に弾かされているかもしれない。(そんなカート見たくねえな・・・笑)
辛辣な言葉で埋め尽くされたこのエッセイは、こんな文章で締まる。
そうだカート・コバーン。誰だっていつかは死ぬのだ。だからもうちょっと、君も生きてみればよかったのに。(11)
オーケンなりの生へのエールだと思った。
「死」という選択肢が間違っているわけではない。
ただ、それを”アガメタテマツル”のは、正しくはないのかもしれない。
少なくとも、27clubには入れないかもしれない。
だからわたしは、27歳の1年間に死を選ぶことはないだろうな、とぼんやり思った。
なんか、ダサいじゃん、27で自死って。
27clubに憧れてること、いろんなところに書きまくってるし。笑
カート・コバーンに、大好きな漫画家による作品からの引用を捧げる。
お前の”夢”は”夢”じゃない・・・
”人生という摩訶不思議な生き物”から逃げるための・・・・
”闘っているフリ”だ
ヤツからは決して逃げられない・・・いくら金があってもムリだ
弱い人も・・・
悲しい人も・・・
どんなにツラくても皆頑張って闘っているんだぞ?
(サルチネス[3] / 古谷実)
*引用(やり方テキトーでごめんなさい!)
・大槻ケンヂ「猫を背負って街を出ろ!」2001 角川文庫
ISBN:4-04-184711-7
・古谷実「サルチネス(3)」2013 講談社
ISBN:978-4-06-382326-4
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