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ビールが美味いと思えた日。

2020年1月22日。
大好きな、大好きだったライブハウスが閉店した。

【よくある質問】
Q. 新型コロナウイルスの影響ですか?
A. 全然関係ないです。1月なんで。

埼玉県にある、北浦和KYARAというライブハウスだ。
北浦和という、京浜東北線しか止まらない、絶妙に辺鄙な土地の名前を全国区にした。
(名前を全国区にしたのはもちろんバンドなんだけどね)

家だった。おうちが一つなくなった。

閉店が数ヶ月目に突然発表された時、どうしようもない気持ちになった。
本当にどうしようもなかった。

KYARAではたくさんのことを学んだし、知った。
いっぱい泣いた。悔しいこととか悲しいこととか、たくさんぶつけた。
その何百倍笑った。くだらないことで、嬉しいことで、楽しいことで、数え切れないくらい笑った。
信じられない数の奇跡を目撃した。
音楽が、バンドが持つ力に圧倒された。
そこでしか出会えない人とたくさん出会った。
たくさんの言葉を交わした。

そして、たくさん夢を見た。
その夢は、いくつか叶えさせてくれた。
自分はなんでもできるんだって気持ちにさせてくれた。

私は紛れもなく、KYARAで育った。

KYARAの20年という歴史の中で、私がいたのはたったの7年。
でも、22年という人生の中の7年はとっても大きい。


1月20日
KYARAの番長、RIDDLEの企画。
あれ誰が出てるんだっけって思うくらいたくさんの人がステージに上がった。
Blue、青は希望の色。
「ライブハウスって、おもしろーい!」という言葉が今も耳から離れない。
声を出して泣いた。ライブハウスは音が大きくてよかったと思った。
泣いているところを見られるのは恥ずかしいからね。

1月21日
the telephonesの企画。
テレフォンズは永遠に北浦和のヒーローだった。
皮肉なことに、こんなことでもなければ来るはずもないBRAHMANは、ライブハウスの権化だった。
cinema staffは、縁もゆかりも無いライブハウスで、私が大好きな「海について」という曲をやってくれた。
声を出して泣いた。
こういう奇跡は、もうこの場所では起こらないんだ、ということがわかってしまった。
ライブハウスは音が大きくてよかったと思った。
テレフォンズではずっと笑っていた。

1月22日
この日が本当に来てほしくなかった。
何かが終わるということに、あまりにも遭遇したことのない人生だとわかった。
Anabant Fullsのワンマン。
ワンマンという言葉の定義はみんなで作っていこう(?)
ターンブルー。今夜だけ、小さなまちで。
声を出してみんなで泣いた。
ライブハウスの音がどんなに大きくても、みんなの泣き声が聞こえた。

最終日なのに、別にパンパンじゃないホール、
それもまたKYARAっぽくて笑ってしまった。

終演後、終わりを惜しむようにホールに残った。
バンドを一緒にやって、何度もKYARAのステージに立った仲間のビールを
ひとくちもらった。

苦手なビールが、やけに美味しかった。

こんなことなら、一生ビールなんて苦手でよかった。

****************

ライブハウスは、潰れない方がいい。
悲しいことを悲しいと、
嬉しいことを嬉しいと、
悔しいことを悔しいと、
大きな声で言える場所が、ライブハウスだと思う。

年齢も、職業も、性別も、立場も、国籍も、
何もかも違う人たちが、「音楽」ただ一つを目指してたくさん笑ったり泣いたりする、唯一の場所が、ライブハウスだと思う。

ライブハウスにしかできないことがたくさんある。

一人一人ができるサポートは小さい。
それにライブハウスが大手を振って営業できる日はきっとものすごく遠い。
言うのは簡単だし、無責任には言えないし、こんなことみんなわかってると思うんだけど、

ライブハウスは、潰れない方がいい。

未曾有の世に巻き込まれてしまった、ふるさとの閉店。
それすらネタになるような楽しい人たちがやっていたところだけど、今年の悲しさは今年のうちに。


最後に、一年前に上演した作品で、私がKYARAに捧げる気持ちで書いたセリフを記しておきます。

「鼻につくタバコと汗の匂い、きたねえ壁に床、そんで心臓に響く大きな音。ここにあたしたちは虫のように集まって、語り合ったり音楽を聴いたりして楽しむの。それがライブハウス。あたしはここで育ったんだよ。」

北浦和KYARA、本当にありがとうございました。

いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。