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インタビューその2:フェティシズムにこだわり続けたら、現代のココ・シャネルになった話

イラストレーター&文筆家・陽菜ひよ子です。

今回の記事はインタビュー企画です。わたしのまわりにいる「クリエイティブな活動をしている人」に「仕事、創作について」など赤裸々にきき、その人の「クリエイティブのタネ」を見つけよう!という企画の第2回

今回お話をうかがったのは、先日2冊目の絵本『めんぼうズ』(アリス館)を上梓したばかりの絵本作家・かねこまきさん。

この超強烈な、ある意味『問題作』である『めんぼうズ』

あの「綿棒」が絵本の主役になるなんて!

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この絵本を生みだしたかねこさんの「感性のタネ」って、なんなんだろう?
そう考えたことが、このインタビューを思いついたきっかけです。

かねこさんとの出会い

最初にかねこさんの略歴を。

かねこまき
絵本作家。埼玉県さいたま市出身。上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒業。美術検定1級 アートナビゲーター。会社員を経て、絵画教室ルカノーズ副主宰として美術を教える傍ら、キルタースペース絵本勉強会、あとさき塾などで絵本創作を学び、現在に至る。第18回ピンポイント絵本コンペ最優秀賞受賞。

かねこさんとの付き合いはけっこう長く、10年前の東京在住時代の絵本仲間です。上記にも記載のある「キルタースペース」のワークショップで2年ほど机をならべて学んだ、クラスメイトのような間柄。

現在はかねこさんは東京、わたしは名古屋なので、ここ数年は年にいちど絵本の原画展「え~ほん展」で顔を合わせる程度でしたが、彼女の活動のユニークさにはずっと注目していました。

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第26回え~ほん絵本原画展(2019)(写真撮影:宮田雄平

今回Zoomでのインタビューで、ここから先の写真は一部をのぞき、かねこさんからお借りしました。


自由でのびのび育った子ども時代

かねこさんは子どもの頃、自分の家はビンボーだと思っていたんだそうです。築40年以上は経つだろうと思われるツタのからまる家は、子どもの目にはみすぼらしく、ボロ屋にうつりました。

定番おやつは「かりんとう」と、なんと「じゃこ」
「じ、じゃこって、ご飯にかけて食べるものじゃないの?」「それが我が家では、おやつだったんです」

友だちの家に遊びに行ってクッキーなんて出てきた日には、まるで初めて見るかのようによろこび、周りをおどろかせていたそうで。

家の裏が畑でまわりに家がなく、いわゆる「ポツンと一軒家」状態の家。お兄さんと妹さんとの3兄弟がどんなにさわいだりケンカしたりしても平気でした。ボロくてものびのび育っていたと今は感じるそうです。

けれど、そのようにとらえられるのは、大人になった「今」だからこそ。当時は「ビンボー」に対して、ネガティブな想いも多少はあったと言います。


マイノリティだったことから繋がる価値観

同時に、子どもの頃は「ウチはよそとは違う」という想いをずっとかかえていたというかねこさん。

ご両親は、自宅でそれぞれ別の自営業をして生計を立てていました。お父さんは鍼師、お母さんはピアノの先生

お父さんは足が悪く、すわるときに胡坐がかけず、立ちひざをしていました。保育園で「お父さんすわり」のポーズをすることになったとき、ひとりだけ立ちひざをして、みんなに笑われた経験があるそうです。

1970~80年代の子どものお弁当には、真っ赤な「たこさんウィンナー」が定番でしたが、かねこさんのお弁当のたこさんは茶色。それがすごく恥ずかしくて。そういったことの積み重ねから「自分はまわりの子とは違う」と感じるようになったとか。

かねこさんのお宅では、当時としては珍しく、玄米食を取り入れた健康志向の食生活を実践していました。ご両親とも、食についてハッキリとした考えを持っていたからです。

おやつが「かりんとう」と「じゃこ」だったのも、そんなこだわりから。当時は食品添加物や農薬を気にする人は今ほど多くありませんでしたが、ご両親は不自然にあざやかな色素のウィンナーではなく、自然な色合いの茶色いウィンナーを選んでいたのです。

とはいえ、子どもにはそんなことわかりませんよね。「みんなと同じのがいい」と訴えても「よそはよそ、うちはうち」と一蹴されました。

実はかねこさんのお宅は決してビンボーではなかったのだと、のちに気づきます。たとえば、お父さんの鍼は非常に腕がよく、有名なスポーツ選手も遠くから通ってきていたほどだったのです。

洋室やケーキなどに憧れはもちつつも、古い日本家屋に暮らし、じゃこや茶色いたこさんウィンナーを食べる日々。当時は気づかなかったけれど、今ではあの日々がかねこさんの中に「人と違う価値観でいい」という想いをはぐくんでくれたのではないか、と感じるそうです。

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みんなちがって みんないい by めんぼうズ


演劇にはまった高校・大学時代


中学時代はバスケ部で活躍したかねこさん、高校から大学時代は演劇にとっぷりつかっていました。高校時代は美術部にも在籍していましたが、幽霊部員で絵はマンガを描く程度だったとか。

下北沢で買った古着に身をつつみ、そのまま下北の小劇場に通い詰める日々。それこそ、東京近郊に生まれ育ったからこそ過ごせる青春時代です。

理数系が苦手だったことから、上智大学に進学。ポルトガル語を専攻したのは、国際協力に興味があったからだそう。(ポルトガル語は発展途上国で多く話されている)

大学を休学してブラジルに留学した一年は、それまでの価値観を大きく揺るがすものだったそうです。そりゃそうですよね、地球の反対側ですもん。

ところで話はそれますが、今は黒髪ストレートで和装が多いかねこさんですが、わたしがはじめて会った頃は、髪クルクル?チリチリ?して、割とエスニックな感じの服装だった記憶があります。

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2009年頃のかねこさん。(陽菜ひよ子・画)

ブラジル時代から、こんな感じだったそうです。

ちなみに、すごく「イケてる」と信じてしていたこのファッションは、ブラジルでは全然イケてなくて、向こうは黒髪のストレートヘアがすごくモテるんだそう。

「マキ、なんてもったいない!」と言われて、向こうでは黒髪ストレートに戻していたそうですが、日本に戻るとまたもやクルクルの髪に。それだけブラジル愛が強かったのですね。


語学教室運営と絵画教室との出会い


ブラジル生活を満喫し、帰国したかねこさんを待ち受けていたのは、日本での就職活動。地球の反対側・ブラジルですっかりはじけたかねこさんに、当然リクルートスーツなど受け入れられるはずもなく。

すでにバブルは弾け、就職氷河期。100社受けて全部落ちることが「フツー」にあった時代に、かねこさんは6社しか受けませんでした。

ウソのつけないかねこさんは、面接でウケのいい返答ができず、落ち込む日々。「ブラジルに帰りたい・・・」とずーーーっと思っていたのだそうです。

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なんとか無事、環境NGOに就職。スペイン語とポルトガル語の語学教室の事務方とコーディネーターを担当することになりました。

周りに個性的な人が多く、とても楽しい日々だったのだそう。語学の先生の中には『ここがヘンだよ日本人』(TBS系)に出演してる人もいたとのこと。それは楽しそう!

その後転職し、30歳の時に結婚して退職。同時に「絵画教室ルカノーズ」のワークショップに生徒として参加するようになりました。

ここから、かねこさんの絵本作家への道のりが本格化します。

絵画教室ルカノーズとは?
画家・美術作家の三杉レンジさんが、西洋美術史を軸とした世界標準の美術教育の場を目指して2009年に設立した絵画教室。

2009年の教室立ち上げの際に「何かお手伝いしたい」と申し出たことがきっかけで、学びながらスタッフとして教室運営に携わるように。

生徒から始まったルカノーズとの関りも、今は「副主宰」。教室運営には、NGO時代の語学教室での経験がすごく役立ちました。ホント、人生に無駄なことなんてありませんね。

同じ頃に「絵本勉強会・キルタースペース」に参加するようになり、私ひよことも知り合ったのでした。


作風の変化とあとさき塾


ルカノーズで絵画講師をしながら、絵本の出版に向けて、活動を地道に続けていたかねこさん。

「昔(2010年頃)は『森の中で動物が出て来る』絵本を描いてなかった?」「描いてました!よく覚えてますね。」

「あるひ、もりのなかで」(2013年・PIBO・2021年9月末で配信停止)


そのあとすぐにわたしは名古屋に引っ越して、しばらく「え~ほん展」への出展をお休みしていました。2018年に数年ぶりに再会すると、かねこさんの作風がすっかり変わっていたのです。

「あるひ、もりのなかで」から「めんぼうズ」への転換は、ひさしぶりに見る者からするとそうとうな衝撃でした。

絵本を書き始めた頃は「道徳の教科書みたいな “ いいお話 ” 」になってしまった、というかねこさん。やがて「人とはちがう変わったことをしよう」と試行錯誤をくり返す日々。

そんな中で生まれたのが「あるひ、もりのなかで」でした。

そのうち、自分は「人が目にも留めないような地味なモノに愛情や執着を感じる」ことに気づいたのだそう。そこから、さらに「自分らしさ」を出せるようになっていきました。

活動が長くなってきた2015年、今までの活動以外に新しい風を入れたいと考えて通いはじめたのが「あとさき塾」です。

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「オーロラとめんぼうズ」

「あとさき塾」は、絵本作家を目ざす人には説明不要の有名塾。トムズボックス代表の土井章史さんとフリー編集者の小野明さんによる絵本のワークショップです。

土井さんの持論は「絵本とは『5歳児が楽しめるエンタメ』であること」。そのため、あとさき塾では、「キミの絵本のテーマは子ども向きじゃないね」「渋すぎる」と評されていたのだそう。

そういわれてテーマを変えようと思わなかったの?という問いには「思わなかった」とのこと。

渋いテーマの絵本は確かにむずかしいけれど、だからこそ、どうしたらおもしろい絵本になるかを考えるのが楽しかったから。むずかしいからといってあきらめるつもりはなかったそうです。

強いなぁ、かねこさん。

きっと子ども時代につちかった「人と違っていいんだ」という信念が、ここでかねこさんを支えてくれたんだなぁ、と感じます。

そんな中で生まれた絵本「せみねんぶつ」2018年、表参道にあるピンポイントギャラリー主催の「ピンポイント絵本コンペ」でグランプリを受賞。

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私ひよこが再会したかねこさんは、まさにこのターニングポイントをむかえて、上昇気流に乗ったところでした。

翌2019年には初めての絵本「ちゃのまのおざぶとん」(アリス館)出版。おさぶとんという「渋め」の主人公が、ついにデビューです。

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「ちゃのまのおざぶとん」に合わせて和服を着るように(陽菜ひよ子・画)


めんぼうズと千人仏

かねこさんをひとことで表すと「職人」「芸術家」あるいは、探求心旺盛な「研究者」でしょうか。

『めんぼうズ』の書店向けPOPづくりは、絵本作家というより、職人ですよね、これ。

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自宅でのPOPづくりの様子

昨年、絵本作家の風木一人さんが管理人をつとめるWebマガジン「ホテル暴風雨」でかねこさんはWeb個展を開催。かねこさんが発表した一連のイラストを見て、言葉を失いました。

コロナ禍で旅に出られない中、めんぼうズが旅をするというコンセプトで描かれ、世界各地の名所と共に描かれるめんぼうズ。

圧巻がこの「三十三間堂」。

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「三十三間堂 と めんぼうズ」
※下部に並ぶめんぼうズは本物

三十三間堂の仏さまって、一体一体が「千手観音」なんですよね。これ、何体の仏さまが描かれてるのでしょうか。。。しかも、めんぼうズも手作りなんですよ!

このときのかねこさんは、このコロナの中の空気感がしんどくて、とにかく「描くこと」に集中したかったのだそうです。

この絵を描くきっかけとなったのは、ルカノーズで行った「千人仏」というアートプロジェクトでした。

10年前の東日本大震災で被災した人々に、木炭で仏像を描くワークショップを行い、1,000枚の木炭画を一ヶ所に展示しようという壮大なプロジェクト。1,000枚全部そろうのに5~6年かかったそうです。

木炭画を描いた人たちもきっと、祈るような思いだったのでしょう。亡くなった方の魂を鎮め、これ以上災いが起こらないように。

三十三間堂の千手観音も、災いが起こらないように祈って祭る、日本各地に残された風習のひとつをかたちにしたもの、なのだそうですね。

千綿仏(部分)_R

千綿仏


これから、そしてルーツとフェティシズム


絵本『めんぼうズ』については、一か八かという気持ち。売れるかどうかはわからないし、万人に愛されなくてもいいけれど、誰かに届けばいい、そうです。

この先はどんな作品をつくっていきたいですか?という問いには、かねこさんらしい素敵な答えが返ってきました。

現代アート的な絵本です。アーティスティックな絵本、という意味ではなく、誰もやったことのないことを絵本の上でやってみたいんです。絵本の多様性や可能性を探りたい。」


なるほど、ここまでかねこさんのルーツを探ってきて、次に未来についてのお話をうかがい、私の中でかねこさんについて、ひとつの可能性が見えてきました。


途中にも少しふれましたが、かねこさんの作品のもととなっているのは、その独特の感性。「普通の人が目にもとめないような地味なモノに愛着を持つ、フェチ的な」とご本人もおっしゃるような、独特なフェティシズム。

その感性をはぐくんだのは「じゃことかりんとう」「茶色いタコさんウィンナー」で育った子ども時代の環境だというのは、ここまで読まれた方なら同意していただけると思います。

ここまで書いてきて、私はある偉大な女性の伝記漫画に出て来た言葉を思い出しました。

「私は薔薇 ココ・シャネルの秘密」(高口里純)

ココ・シャネルというデザイナーはファッションで女性を解放した人です。堅苦しいコルセットを無くし、労働者の着る生地だったジャージー素材で女性の服を作り、新しい時代の女性像をつくりだしたのです。

この本の中で、自分のファッションセンスを絶賛し、「一体どうしたらそんな発想ができるのか」と問うブルジョワジーに対して、シャネルはこんな風に思います。

「私のファッションがあなた方に思い付くわけがない。だってこのファッションセンスは、私が貧乏だったからこそ身についたものだから」

現在の「シャネル」は最高級ブランドですが、ココ・シャネル自身の前半生は決して恵まれたものではありませんでした。だからこそ、恵まれた人々が思いもよらないような感性が彼女の中には芽生えたのでしょう。そしてときに歴史を動かすのは、そうした人々、なのかもしれませんね。


シャネルとは異なり、かねこさんの幼少期は貧しかったわけではありません。しかしご両親のこだわりから「人とは違う」幼少期を過ごしたかねこさんが、絵本の歴史を変える日もそう遠くはないかもしれません。

そんな予感に胸躍らせながら、この記事を終えたいと思います。

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かねこさん、楽しい時間をありがとうございました!


めんぼうズ、書店での盛り上がりがすごすぎる!!


かねこさんの想い、書店員さんには届いているようです!

めんぼうズ、あなたのまちの書店で見られるかも。

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特別付録:めんぼうズのつくり方


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