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日記のような

iPhoneの目覚ましやファンヒーターのタイマー機能の努力も虚しく、いつも通り昼過ぎに起床する。まぶたに貼り付いた睫毛を引き剥がし、強張った肩を回してカーテンを開ける。高く昇った太陽が責めるように目を眩ませる。

顔を洗って、昨日注文しておいたカメラのフィルムをポストへ取りに行く。買ったのは富士フィルムの3本セットのもの。あまり詳しくないので友人の使っているものを選んだ。フィルムの入っているプラケースが懐かしい。保育士の母親が工作でよく使っていたので覚えている。


早速フィルムをカメラにセットしてみる。このカメラは、一ヶ月前に中古で買ったものの、何かと理由をつけてはフィルムを買わずにいたので、ようやく使うことができる。久しぶりに少し楽しい気分になっている自分に戸惑いながら、試しに部屋の中を撮ってみることにした。

フィルムを巻き上げ、レンズを回してピントをあわせる。カシャンとシャッターがおりる感触が心地いい。シャッタースピードと絞りのことはよくわかっていないが、まあそのうち慣れるだろう。露出計のアプリを使って都度覚えようと思う。はじめの何枚かを汚部屋の写真にしてしまったが、まあそれもフィルムの味とやらがうまく旨味をだしてくれるだろう。



もう昼の2時だ。昼食にしても遅い時間だが、何か腹に入れないといけない。
フライパンに期限切れのソーセージを並べ、火にかける。今日は贅沢に3本にした。時折ソーセージを転がしながらキャベツを千切りにする。一度ソーセージを取り出してから、フライパンにマヨネーズを練りだし、キャベツを投入。蓋をして蒸し焼きにしているうちに、食パンをトースターにセットする。トーストの上にキャベツ、ソーセージをのせてケチャップをかけて特製ホットドッグの完成だ。
思いつきでマヨネーズで炒めてみたキャベツが予想以上に美味しくて嬉しくなる。ご機嫌になっている自分に安堵と困惑を抱えて、完食。

後片付けもそのままに、カメラを抱えて散歩に行くことにした。メイクするのも面倒なのでジャケットを羽織ってそのまま外に出た。
散歩しに外へ出るのはかなり久しぶりだ。

そういえば自分は行ったことのない街の住宅街を歩くのが好きだった、と思いながら、気の向くままにシャッターを切る。カメラを構えている姿を人に見られるのは気恥ずかしいので、人が近づいてきた時は連絡をチェックするフリをして露出計アプリを見てやり過ごした。


1日で一番好きな時間。日の沈む1時間前から暗くなるまでの時間だ。
空のつくる色も綺麗だし、小学校から帰る児童や買い物帰りのおばちゃん、帰宅するサラリーマン、そういう生きている人がつくり出す空気感が好きだ。


歩きながら、昨日先生達に言われたことを反芻する。逃げているだけの私に、先生は思った以上に優しかった。私の周りの人は優しすぎるから辛い。もっと怒られていいのに。ひとりで地獄に堕ちている私を誰か滑稽だと笑ってくれないか。

結局、自分の生きている意味も価値も存在意義も何ひとつわからないままだけど、今日はまだ泣いてないから大丈夫だ。やりたいこともできることも夢も自信もないけど今日はまだ泣いてないから大丈夫。
意味不明に泣き続けていたここ数日に比べて、かなり今日は落ち着いて過ごせている。なんで泣いていたのか、なんでもう泣いてないのかもわからないままだが、どうやらもう大丈夫らしい。何が、何に対して大丈夫なのだろうか。何もわからないが、どうやら道行く人と同じように『大丈夫』なフリをして生きていけるようなので安心した。



歩いていると、かなり開けた田んぼエリアになった。私は、ここが近所で一番好きな場所だ。見渡す限り田んぼで、何にもない。昔行った北海道を思い出す。ここから薄く重なる山を見ると、盆地も悪くないと思えるし、大学がここで良かったと思える。犬の散歩をする兄弟を見て平和だなと思う。


私の中は、否定する声だらけだったが、今はもう静かだ。否定もなければ肯定もない。帰ったらスープとかぼちゃサラダを作ろう。



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