見出し画像

あの時オタクになれなかった人間が今更「けいおん!」を観た感想

タイトルの通り、今更ながら「けいおん!」を観た。

画像1

でも何故だろう、とても感想を言いづらい。

2021年の現在、「けいおん!」を観たと言っても当時リアルタイムで観ていたオタクには「え、今?」「遅くない?」「まだ観てなかったの!?」と思われるだろう。現在のインターネットにおいて中心にいるのは学生時代に「けいおん!」を観ていて心を奪われた年代の人が多いんじゃないかとSNSを使っていて感じる事が多々ある。もしくは「けいおん!」よりももう少し前のハルヒを見ていた世代かエヴァを見ていた世代に分類されるが、大雑把に括ると今の20~40代だ。なのでこの年代のオタク達が蔓延るインターネットでは流行の周回遅れとなった私は感想など言いづらいのだ。そんなの気にせずに「学園祭ライブ終わりの部室のシーンが良かった!」とか「放課後ティータイムを映さずに日常のさり気ない1コマを入れることで視聴者に感情移入させる作りは流石京アニ!」とかなんとか言えばいいじゃんと思うかもしれないが、そんなのは当時のオタクたちは散々言ってきたろうしそれこそ今更すぎて馬鹿にされそうだと私は考えてしまう。

別にそんなこと考えずに思ったこと言えばいいじゃん?とも思うがそんな思考に陥ってしまうのは「けいおん!」がまだそれ程昔の作品ではないからだろう。例えば旧エヴァや銀河鉄道999など人気アニメ作品を観たと言ったら「え?遅くない?」とはならない。そこには「作品への造詣が深い」と捉えられるだろう。この違いはある種のヴィンテージ的な価値観が生み出していると思っている。作品放送から時間が経てば経つほどそれは知る人ぞ知る作品になっていく。それは当時見ていた世代が消えていくからで、まぁどの界隈にも言えることではあるのだが。

とにかく本来ならば「けいおん!」ど真ん中の世代にいながらも深夜アニメの存在すら知らずに学生時代を過ごしていた自分からすれば中途半端に流行に乗り遅れたせいで今から観たとは言いづらく、これはコンプレックスのようなものになっている。なので私はハルヒも見たことがないが、これももう少しヴィンテージとしての色合いが出てきてから視聴しようと思っている。

と、まぁそんな事ばかり言っていても感想でもなんでもないのでここからはあの当時のオタクたちの様に「けいおん!」についての感想を言っていきたいと思います!ぶっ飛ばせコンプレックス!

ということで、まず最初に言いたいのが

着地完璧の日常系作品だった

日常系作品の代名詞とも言われるのがやっぱり天下のきららなんですが「けいおん!」はその中でも物語の着地が完璧だった

私はきらら作品は大体見ており、好きな作品ともなればアニメ化していないものも紙で集め読んでいる。(ちなみに一番好きな作品は「あんハピ♪」)その中でもアニメで卒業までを描ける作品ってやっぱり相当限られていて、それは円盤売上や作品人気等の大人の事情があるので仕方の無いことでもあるのだが、引き伸ばし要素も反対に巻いてる要素もなくベストな長さで終わっているから満足度が高かった。学校行事も夏休みの一時も何気ない休日もこれから先の進路も全て正面から向き合って1話1話を消化しているからこそ、学園祭ライブ終わり、そして最終回で蓄積された思い出がゆっくりと脳内を駆け巡るため感動させられた。そしてこれを視聴者と同じ目線で見てくれる舞台装置があずにゃんだった。あずにゃんだけは一つ下の学年の為、みんなとは卒業することは出来ず、修学旅行の回や学園祭のエピソードでは学年の差を強調するシーンが多く描写される。そういった何気ないエピソードの中で不意に見えるタイムリミットをあずにゃんと視聴者はどこか見て見ぬふりをしながら3年生卒業の日を迎えるのだが、最後の最後であずにゃんが視聴者と完全にリンクしていて非常に良かった。もっと放課後ティータイムの日常を見ていたいと思う視聴者の代弁をしてくれるあずにゃんと、それにアンサーソングで返す3年生。最後には5人揃って楽器をかき鳴らす所で話は終わる。

終わってから、まず最初に思ったのが

喪失感があまり無かった事だった。

おかしい。これまできらら作品を見た時は最終回でEDが掛かりだすとAB!のラストのように行かないで欲しいとテレビにしがみつきたくなるのにこれはまるで喪失感が襲ってこなかった。こんなことは初めてだった。だからまず最初に疑ったのは自分の感性だったが、今期の作品でもスーパーカブやスライム300年でこれまでのように表情筋を崩しているのでこれは違うと思う。じゃあ何だ?と考え続けると今の自分に一つだけ近い感覚の体験をした事があったのを思い出した。

それは大学で必修の単位を取り終えた時の安堵感だ。

悲しかった。アニメでこんなものと同じ感覚を味わってしまう自分が心底悲しかったし悔しかった。ちゃんと作品としての良さを汲み取ろうとして最後まで見ていたのに…

と思った所で自分の過ちに気付いた。

日常系作品を見ておいて作品としての良いポイントを汲み取ろうとしながらの視聴?

いらないだろそんな視点!!!!

やってしまった。そんなのはいらなかったんだ。これまで日常系作品をたくさん見てきて、そんな風に考えながら見ていたか?確かに考察が必要なアニメや、絵作りから良さを見つけて語り合う作品は大好きだ!でも日常系作品においては、そういうのは大体2周目、3周目をした時に初めて目をつけるところだ。なのに私は初見にも関わらず脳を空っぽにしてみるのではなく、あくまでも作品としての良いポイントを押さえようとしていた。それがテストに出るわけでもないのに。そんな所にばかり注意を払っていた。その時点で私が学園祭回で、最終回で、泣けるわけが無かったのだ。あくまで外側からしか見ていなかったのだから。

なんて勿体ないつまらない見方をしてしまったのだろうと気付いた時には膝から崩れ落ちる勢いだった。


だがやはり、原因を考えてみるとこれは上記で書いたようにオタクといえばこの作品は知ってなきゃというオタクの教科書的側面に踊らされたせいだったとも思う。SNSなんかをやっているとオタクの好きなアニメランキング又は名作ランキングなんかを目にすることはある。そういうのを気にしてしまった時点で心の底からの楽しみは生まれなくなってしまう。邪念が入るからだ。

これまで私が好きになった作品は意外とそこまで知られていないものであったり、絶賛されているというものでは無いものも多かった。それでも自分の中では大好きなシーンの数々があり、劇伴が好きで、キャラが好きで、演出が好きで、それを面白くないと言う人がいても「わかってないなぁ」と思うだけだ。だからその側面は大切だと思う。

かれこれ深夜アニメを見始めてから6年は経ったが今期も2、30作品視聴をしていて、毎週続きが楽しみで仕方ない。(ちなみに今期はオッドタクシー、Vivy、スーパーカブ辺りが特に好きです)

これからも自分の中で視聴するタイミング、見る目的がポジティブなものである事を重要視しながら適切なオタ活をしていきたいです。

そしていつか、また「けいおん!」を純粋に視聴し直せたらなと思います。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?