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またぞろ。が終わる。されど人生は続く。

久しぶりです。
以前noteで感想記事を書いてたまたぞろ。が完結したので、もう一度noteで色々と書きたいなと思って書いてる。

↑このnoteを書いてる時にはまさか3巻で完結するなんて思っていなかったからとても寂しいけれど、この世の物は大体有限なのでどこかで折り合いをつけて心に刻んでいくしかない。
そんな刻み方のひとつとして、ここを活用することにした。

早速だけど、「またぞろ。」3巻の作りがめちゃくちゃ良くてこの漫画やっぱり好きだなぁって思ったよ。
内容の流れ、裏表紙、カラー、その細部にこの漫画の好きだった部分が浮き彫りとなって現れていて読み終えてからの喪失感を吹き飛ばしてしまうほどだった。

まず、開いて1ページ目に飛び込んでくるのが吸い込まれそうな程に青い空をバックに正真正銘のきららジャンプをする4人。
悪ガキのような笑みを浮かべてる巴、片目閉じつつも楽しんでそうな詩季、カメラ目線ピースの楓、自分のことで必死な殊。
開いていきなり飛び込んでくるのがこれで正直かなりグッときた。

だってこれはある種のifだったから。

きらら作品におけるきららジャンプはアニメ化を果たした作品がOPで見せる伝統みたいなものになってる。
俺も「またぞろ。」のきららジャンプを脳内で妄想してたし、数年後には現実になるんだろうなと本気で思っていた。
だから連載が終わると分かった時にそれはもうとても寂しくなった。
それはこれまでの数多くのアニメ化に至らなかったきらら漫画で経験してることでもあるんだけど、そういった作品の中でこうしてifを描いてくれたのは幌田先生の粋な一面が感じられた。
そしてこの、アニメとしては叶わずとも漫画の中で実現してるところがどこか「またぞろ。」らしさになっている気がしてそれも良かった。
まぁこれは一読者としての受け入れ方だけども。

と、そんな1ページ目から続くカラー数ページはまさかの留年が確定した穂波殊の過去シーンから始まるんだけど、これがまぁ刺さる。

俺は実際に留年したことはないけれど、逃げ出すことは非常に多い。それは習い事だったり、部活だったり、バイトだったり、仕事だったり。そんな逃げ続けた末に今、首の皮一枚社会と繋がったフリーターやってる。
自分がこの先どうなって行きたいかなんて明瞭な形で思い描けず、かといって何かがきっかけで好転し出すなんて事もなく生きてる。
そういうこれまでの分岐点となってきた自分の人生が重なってしまうような選択を迫られた穂波殊が先生の言葉によって留年を選択する。
そしてここで逃げないことが穂波殊自身の強さだって3巻になって気付いた。

前回のnoteでは穂波殊は周りに恵まれてるってことばかりを強調して書いたけれど少し違った。

確かに周りに恵まれてる事は確かだけれど、それは穂波殊自身の、"変化"というハードルを何度躓いても飛び越えようとするその姿勢に周りが影響を受けているというのもある。
そしてそれを周りが受け入れた上でフォローしてくれるのはありのままで居れる穂波殊の性格ゆえだ。
正直、本当に劣等感に塗れている人間は人に好かれる才能を待ち合わせていない。
それは俺のこれまで生きてきての感想なんだけど、幼少期に人からの好意を貰わなかった人は人への愛の渡し方を知らないし、そういった能力が身につかないとすら思ってる。
それに残念だけどこの力というのは幼少期に蓄えておかなければ発露しない事が殆どだとも思ってる。
だから穂波殊は幼少期には愛情も麻里也からの献身的な支えもあったから、そこだけは一級品なんだろうなって勝手ながらの自分の生きてきての感想と合致させて納得してる。

まぁかといってこうしてなんか重たい感想言いたい訳じゃなくてまたぞろ。ってほんとに大好きな空気感を描き出してくれてたんだよってことをもっと言いたい。
例えば新しく出来たコンビニに夜訪れる穂波殊、古典的でありながらもやっぱり好きなシチュである授業サボタージュ屋上、めちゃくちゃ人間的な休日の先生たち。
こういう日常を切り取り方にきらら作品でありながらどこか褪せた色の日常の輝きがあったし、そこに含まれる実在性が好きだったんだ。

そういうまたぞろ。の日常の切り取りの中でも特に好きだったのはコンビニ回と先生の休日回だなと改めて3巻読んで思った。
コンビニ回だと、穂波殊の愛おしい部分が全部盛りになってる。まず入ってすぐに店員の声がけにビビる。買うものが直ぐに決まらずちょっと焦り出す。(ここほんとに分かる…。よくやる上に何も買わずに出ることも結構ある。近所のローソンごめん…)
会計でもたつく。チャージが足りなくてそこからの店員との会話もズレてしまう。(これもよくやる。なんなら未だに現金使ってる。そろそろなんか決済変えなきゃって思ってるのに3年くらい過ぎてる。殊の方がモバイルSuica使ってるだけ偉い。)
やっぱり人生下手なとこ見てると楽しいね。

もう1つの先生休日回はなんかもう終始好きだった。
前日から一緒に呑んで潰れて帰宅。その時の2人の慣れた感じからこれが日常の1ページであり、知らないところでもこんな感じなんだろうなっていうのが垣間見える。
俺は社会そのものが苦手なのでこうして同僚と何かを愚痴るみたいなことはそれこそ創作の世界だから楽しく読めてる。
だからこそ2人がドラマでも漫画でもなく、あくまで現実でこんな生活してる存在がきっと何処かにいるよなって思えるほどの生活感が好きだ。
関係性が1歩進むだとか百合を匂わせるだとか、最近だとそういう作品が増えつつある中でほんの少しの冗談と相互理解で成り立つ関係を描いてくれたことが何よりも嬉しかった。

ただ心残りだったこともある。
それは麻里矢のことである。
俺は殊と麻里矢の事をもっと深堀りしたエピソードが見たかった。
3巻で終わったからこそ、そこには現状で1度答えが出たから流れてしまった感じがある。
たまに殊達に問題が起きたりした時に殊が当たり前のように麻里矢の力を借りようとするからそこで登場したりするし、クリスマス回でも初めましての存在が多い中で安定感のある立ち回りをしていた。
だからこれから先も暫くはこうして殊との関わりは続くし仲良くやっていくんだと思う。

でもきっと疎外感もある筈だ。

殊は麻里矢といる時間が学校も違うし昔と比べて少なくなっている。
その上で殊は殊の周りの人間を増やし、そういったコミュニティでの会話もどんどん生まれると思う。
だから殊のコミュニティがメインであり、麻里矢はあくまでその1部に過ぎない。
それでは大体の事について"後から知る"という状況が多くなっていくと思う。
これをやられ続けるのはきっと堪える。
殊がそこら辺を思いやれるほど出来た人間でも無いのはここまで読んできてよく知っている。
だからこそ「またぞろ。」という作品を現実レベルにまで昇華して人間関係を考えていくと麻里矢の今後は不安であり、なんとか報われて欲しいなと思ったりする。

なんだか、語りたいことはもっとあった筈なのに3巻の綺麗な終わり方を見たらそれらは言葉から感情に変化して消えて無くなってしまった。

だからこの感想記事は終わろうと思う。
もしかしたら時が経って改めて言葉にしたくなるかもしれないけど、その時はここに追記しておくよ。

俺の人生の中できららは時折こうして生涯大切にしたくなるような漫画を出してくれる。
「またぞろ。」もそのひとつだ。
そんな作品を描いてくれた幌田先生には本当に感謝してるし、季節ごとにプレイリストを投稿してくれるのにも感謝してる。
あれ、自分の好みと近くていっつもテンション上がる。シューゲイズいいよね。

それとこの前秋葉原に穂波殊Tシャツ買いに行ったら売り切れてて泣いたよ。みんな好きだね。いい事だ。
だからオンラインでポチッた。
冬前に穂波殊Tシャツが来るのを待ちながら来年の夏まではとりあえず生存するか…と思っています。

俺は今日も深夜のコンビニの駐車場で1人きららジャンプをキメるよ。



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