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蔑視人は休んだ方がいい。

生きていると時々人を見下した様な態度や、偉そうな態度を無意識、または意図的に取ってくる人がいる。それは、あまり関わりのない外の人間から自分の友人まで存在する。
以後、蔑視人とでも呼ぶとしよう。

そんな人達と話すとき、今までは頭にに来て不機嫌になってしまったりもした。
でも、年齢を重ねたせいか最近は違う。

最近ではそんな人たちを可愛いと思えるのだ。
何故なら、蔑視人達は自分を肯定する事に必死なのだから。舐められたくない、自分の方が優秀、自分が間違っているはずがない、様々な感情が渦を巻き人格に影響を及ぼしてしまったのだろう。

そんな蔑視人達を見ていると、不安定で常にピリついていた思春期の自分を思い出す。
親、友人、学校、恋人。
子供と大人の境目でもがき、反抗し、失敗していた当時。
に余裕が無いくせに、自分が絶対に正しく正義であると信じることで自分のちっぽけで何も無い世界を守っていた。
蔑視人もまた自分以外を見下す事で自分の小さな世界を守っているのではないだろうか。

どうだろう。
思春期の自分と重ねる事で蔑視人達が少し可愛く見えてきたのでは無いだろうか。

ただ、蔑視人達の問題としては思春期の自分達と違い考えを改める機会が圧倒的に少ないのだ。

年齢を重ねれば自分を叱ってくれる人もいなくなり、粘着した凝り固まった考えを修正するのは容易な事では無い。
そもそも、自分が間違っているとすら思う余地がないのだ。

見下す事が悪いと思わない人がいるならそれでもいい。
それは、自己愛の行き過ぎた一種の病気なのかもしれない。

心に余裕を持つ事は簡単。

休むこと。

足を止めて休み、状況を整理したり自分の願望を少しでも叶えてやる事が大切であると思う。

喧騒の中で、ただ自分を消費してはいけない。
心に潤を持ち、広い視野を持たねば短い人生の中で得るものは少ないだろう。

単純だが、休む事は侮蔑人含め現代人には難しいことなのか。

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