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「死」とは 増える未成年者の自殺

死とは何か。

そもそも人はいつ死ぬのか。

魂が抜けた時?意識が失ったとき?それとも人は実は死なない?

私が小学4年頃だろう、祖母が亡くなったのだが「実際死んでないんじゃないのかな?」お父さんお母さんがどこかで隠してるんじゃないのか?」と感じていた。

どこかサンタクロースのシステムで子供だけ知らないのでは?そう考えていた。

だが現実問題、心理学者や哲学者全員が「人は必ず死ぬ」と言っている。

そんな必ず死ぬ出来事を未成年者の自殺率と一緒に考えていく。

以降注意書きだが、私自身の考えや別の方の考えものせている。
ご了承頂きたい。


さてここで問題だが、今現代日本の自殺率は世界で何位だろうか


世界で2位だ


特に未成年者の自殺が懸念されている。


よく仏の教えで、自殺をしたら地獄に行くという言い伝えがある。
これは事実だろうか。

多くの心理学者、哲学者は死んだこともないし、仮に死んだ人でも、
その内容を発表することができない。

そして「死」とはどこからが死だろうか

これは実は2パターンに分かれている

二元論者と物理主義者である

二元論者は人の死は身体から魂が離れた時とされている。つまり魂は存在する

一方で物理主義者は身体が機能しなくなった時とされている。つまり魂は存在しないとされている。

まず私の考え方であるが、後者である。

そもそも人が生きている原因は脳が機能しているから生きているのである。
つまり脳が機能しなければ人は死ぬのである。

このことから天国地獄という概念は無いと私は考える。

日本の多くは仏教であり人が死んでから2〜3日で火葬する儀式を取り入れている
その2〜3日の間もしかしたらそのような錯覚作用で天国、地獄のような感覚が
あるのかもしれない。

これは余談だが、今現在も生きている母方の祖母の話だが、

祖母は昔一度死んでいる。いや大袈裟に言ったかもしれない、

死んだというよりか、心肺停止になってAEDを使って蘇生させて意識を取り戻した
人物である。

そこで言っていた言葉が今でも印象に残っている。

「一面に花畑が広がっていた。そこに私が立っていた」と

何故この言葉に印象が残っているかというと、

今まで祖母と同じく死に際、若しくはもう死んでいたが生命維持装置で生き返った人皆が言う言葉が「お花畑が見えた」と言っていたのだ。

もちろん祖母は立っていたと言っていたが、空を飛んでいたと言う人もいれば
横になっていたと言う人がいたり、お花畑で誰かがいたと言った発言もしているが、
皆が共通しているのが、

花畑なのである。

しかし、それは脳がまだ火葬されていない状態の話であるため、
脳が火葬されてしまえば、人は錯覚を見ることができなくなる。

つまり真っ暗な世界が広がると思われる。

一方、イェール大学のシェリー先生と言う「死」について研究している先生がいる
その方も私同様物理主義者であり、魂は存在せず、天国も地獄も存在なんてしない
と同じ意見である。

では、死後の感覚はどうなのだろうか。
シェリー先生は睡眠状態に近い状態になると言う。

つまりなんの感情も考えも何もない感覚。自分たちが胎児の頃と同じ感覚だと言う。

これに関しては私は否定する。

私は死んだ瞬間の感情はそのまま受け継がれると考える。

生きているうちは感情の変化があるだろう、嬉しい気持ち、悲しい気持ち
辛い気持ちなど、しかし、脳の機能が止まればその時に感じていた感情が引き継がれ、脳が機能していないから変えることはできないと考える。

つまり、辛い気持ちのまま死んでいくと、辛いという感情が残り、一生生まれ変わるかわからない状況で辛い気持ちが永遠に続く。

これは自殺にも言える。
自殺する理由の多くは「苦しい」という感情だと思われる。

では苦しいまま自殺したらどうなるか。

一生その苦しいという感情を引きずっていく。死にたい。いやもう死んでる。

どうすることもできないのだ。

自殺以前の苦しみよりももっと苦しい感情が待っている。と考える。それもずっと。

ここでシェリー先生だったらなんというか、

「脳が機能してないのなら感情もないだろ」

必ずそういうはずだ。

確かに感情は脳のドーパミンなどと言った分泌液によって感じるものだ。

しかし死後の感情はまた別物のものであると私は考える。

私はこれを感情ではなく「感状」と読んでいる。

感状は脳からの信号ではなく、脳の最後の感情がフリーズ状態のことである。
たとえ脳みそが燃えようとも、フリーズしているため死後もずっと持ち続けている産物であるということだ。

ではここまで言ってきた「自殺」
イェール大学のシェリー先生は実は自殺肯定派なのだ。

生きたい人だけ生きればいい世界。人の死は(自殺も含む)もう皆既に経験してるから怖くないはずだ。

また暗い人生しか先が見えない人(植物状態など、明らか病に苦しんでしまっている人)に自殺はいけないよなんて言えるわけがないというのだ。


では私はどうなのだろう。

実は私も自殺肯定派だ。

いやいや今さっき死んだら感状が残るって言ってたじゃない!
と言われるかもしれない。確かにそうだ。

しかし私は幸せと感じて自殺するのは何も問題ないと考える。

私が良くないというのは苦しいという感情のまま自殺してしまうことがよろしくないのだ。

つまり、安楽死も日本は取り入れたほうがいいと思っている人物でもある。


ただ、未成年者(難病や植物状態の人物を除く)やまだ希望が見える人は違う。

未成年者の多くの自殺理由は「勉強ができないから」
実はこれが一番の理由で多くの子供たちが亡くなっている

その次に教師との関係、友人関係という順である。

今の世の中勉強ができなくても、得意分野を見つけてものすごいお金を稼いだ人もいる
教師との関係や友人関係はその一度きりなのである。

つまり、未成年者の多くは、まだこれから幸せになれるといった希望があるのにもかかわらず自殺をしてしまう。

それが逃げと思う人もいれば、自殺すれば周りが悲しんでくれるから、

もしかしたら悲しんでくれる人もいるかもしれない、だがそれを見ることはできない。

なぜなら魂は存在しないからだ。真っ暗な世界で感状(勉強ができなくて辛い苦しみ)をずっと引きずる。

ただ、幸せな気持ちなのであれば自殺をしても何も問題はない。死後も幸せという感状を引きずるため死後もずっと幸せだから。

しかし、幸せのまま自殺する人はこの世に存在しない。

生きてその幸せをしっかりと感情として感じて周りに共有していきたいと思うからだ。

これは未成年だけでなく成人も同じことが言える。未成年の次に自殺が多いのが40代である。これも同様に希望がない状態ならばわかるが、多くの人が実は希望がある。

私お先真っ暗といってる人ほど、自分の悪い部分しか見えておらず、
本来の希望、幸せが見えていないのだ。

最後になるが、死とは身体が機能しなくなった時初めて死ぬのである。
また、感情は死んだ後は感状になり永遠にその気持ちになる。

ご老人が亡くなる際も周りに看取られたり、多くの人たちが見舞いに来たりして幸せという感状のまま亡くなられる。

これが私の死に対する意見である。


余談であるが別の説もお教えしよう。

今生きてる世界は実は地獄であり死んだ後は全員が天国に行く
今生きてる世界がAという世界で死んだらBという世界に行く
死んだらまた同じ出来事の繰り返しになる。
人は1日で死んでいる(今日の自分と明日の自分は全く違う人)
などなどいろいろある。

正解は死んだ人しか知らないが、気楽に自殺してはいけないのかもしれない。

以下私の考える自殺をしたらの図です。


人は毎日変化して生きていきます。
どうか諦めずに自分を変化して
あなたの物語(人生)を書き上げて欲しい。

カウンセリングルーム
Himmel 代表 鈴木直弥



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