銅鐸の考察⑪(倭国大乱と卑弥呼共立)

 銅鐸埋納との関係でもうひとつ確認しておきたいのが高地性集落である。寺沢薫氏によると高地性集落にはピークが3回あり、1回目のピークが弥生中期後半で、瀬戸内海沿岸を中心に爆発的に出現して短期で消滅する。鉄器化の進んだ最新武器を持つ北部九州に対する防御のために築かれたものの、実際には北部九州と瀬戸内、近畿諸国などの間で長距離間戦争が勃発した様子はないという。「聞く銅鐸」が埋納された時期と合致しているが、北部九州勢力が銅鐸祭祀国を制圧したということではなかった。

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前半部分は銅鐸研究の第一人者である佐原真氏、春成秀爾氏、難波洋三氏など各氏の論文や書籍をもとに銅鐸の基本事項を整理しているので、銅鐸の基本を学ぶことができます。後半は寺澤薫氏や森浩一氏などの論考をもとに考古学の視点も加えて自分なりに考察してみました。

謎の青銅器「銅鐸」について自分なりに調べて考えていくと、古代人の信仰の変遷が読み取れ、そして最後は邪馬台国につながりました。全12回のシリ…

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