妖怪けつろなめ 【1000文字小説 #008】
「おかあさん……それちょうだい……」
私はぎくりとして振り返った。
「何?」
「それ……」
娘は私が手に持ったご飯用ジップロックコンテナの蓋を指した。ご飯を平べったくして保存できる容器だ。炊き立てのご飯を小分けにして冷ました後、冷蔵庫に入れる前に、蓋にたくさんついた結露を振り落としていたところを、見つかってしまった。
彼女はじっとりした目で私を見る。私は蓋を渡した。
「あじみのおさらちょうだい……」
料理の味見用に使うことになっている小皿のことだ。ほとんどの場合、ヘラとかお玉から直に味を見ているが、建前として小皿を用意してある。
娘は「あじみのおさら」にジップロックの青い蓋についた結露を集めると、傾け、小さいお口にすうっと水を吸い込んだ。しばらく焦点の合わない目で薄く微笑む。
「まだある?」
彼女はあと4枚の蓋から結露を取って舐めた。
娘は結露が好きだ。そもそもは、窓の結露を舐めるところから始まった。おかげで私は窓をこまめに拭くようになった。赤子によくある癖だと甘く見たのがいけなかったのか。
結露の一玉一玉に妖精の粉でも封じ込められているかのように、大事に眺め、舐める。娘のうっとりした瞳は引き込まれるものがある。私はつい、切り餅の個包装の内側にできた結露とか、冷蔵庫にできた霜だとかを見つけると、手を止めてしまう。
すると彼女は家のどこにいても何かを感じ取るらしく、そっと近寄ってきて「ちょうだい」と言う。
雨上がりのブランコの柵の雨垂れに舌を突き出しているのを見た時は、いいかげん止めなきゃな、と思った。この世で誰に気兼ねなく舐めていいものは飴かアイスくらいだと。
とはいえ私も、ナンプラーにできた塩の結晶とか、チューブわさびの蓋にこびりついたカスとか、リステリンの塊だとかを怖いもの知りたさで舐めてしまうのだ。
同じ大人になってほしくはないが、あまり強くも言えないのが悩ましいところだ。
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