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もっともっと自由に生きる人が増えるには

もっともっと自由に生きる人が増えるには 
どうしたらいいのかなぁ、と
ぼんやり考えてみた


衝動とか情熱とか
子どもの頃には持ってた
胸のうちにある熱いものを
大人になり
お金とか生活とか世間体とか考えだして
折り合いつけなくてはならなくなって
いつしか
自分にある翼を自由に羽ばたかせることが
出来なくなってしまうのが哀しいなぁと。

その点、うちの妹ちゃん(統合失調症)なんかは、
見てると、それはそれは
自由に生きているように見えるが
まぁ世間様を騒がせるようなことを
しでかしてしまうと、
まぁ、人間社会というのは、
交通ルールのように
それ相応の最低限のルールは必要で
好き勝手やってばかりが良いわけではないよなー
とも思いつつも

あれだけ自由に思うままに
生きられるっていう(ように見える)のは
羨ましさと尊さを感じたりする。

どうしたら、
誰もが羽根を伸ばし
自由を謳歌しながらも
互いを傷付けることなく
相乗効果を生み出せるんだろうなぁと

というのは、
10代の頃から比較的ずっと
考えてきているテーマだなぁ、と思う。

そうなんだよ、
私は、障がいある妹の
ある意味の、社会ルールを度外視した
飾らない自由な自己表現にずっと
インスパイアされ続けていたんだ、と
書きながら気づく。


なぜか、健常者の自己表現の方が
誰かの目を気にして不自由である気がして
何を持って「健常」で、
何を持って「障害」なのか
甚だ疑問になるのだ。


誰もが自分を自由に表現し尽くせる世界


それはまた見えて来た
次のビジョンの言葉かもしれない。
ビジョンは進化するからね。
、、、つづく。
(かもしれない)

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