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鬱脱却奮闘記#2

前回、自分の鬱期についてお話したのですが、今回はどうやって鬱を脱却したかについて具体的に書いていこうと思います。

この記事を読んでいる人の中で、現在鬱病という方はいらっしゃいますか?
人によっては私の記事を読んで、「こんなもん鬱じゃないよ」と思う方もいらっしゃると思います。
ただ、前提として鬱病は軽度重度の度合いがありますが、感じ方は人それぞれだとまずはお伝えしたいです。

私にとってそれが本当に苦しい状況だと思えば、精神科医の下す重度とか軽度とか何か特別な診断名なんて関係ないです。
私はただ、それで命を絶たないでほしいと伝えたくて、この記事を書いています。

時間は掛かりましたが、私は今幸せだと感じられるまでになりました。
私は5年掛かりましたが、それでも生きていてよかったと思っています。
私の経験が誰かの助けになるならと思って記事を書くことに決めました。
「自分の方がつらいよ」「こんなの大したことない」「私は今のままでいい」という方はこの記事を読まないで下さい。

変わろうとしない人を、助かりたいと思わない人を、私は救えません。

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それでは、鬱病の私が実際に起こしたアクションについて話していきます。

まず、私は毎日白い天井を眺めました。
大学4年の時の話です。
ゼミだけでほとんど授業がなかった私は、毎日白い天井を眺めていました。
今でもどんな天井だったか思い出せるくらい、ただただ白い天井を眺めていました。

考えていた事と言えば、どうしたら楽に死ねるのか。
痛いのは嫌だ。かと言って、これから生きていてもなんの意味もない。
自殺した親友は、最後に会った時に「こんな仕事をしたい」と熱意を持って話してくれていました。(いつもは大人しい性格の彼女が、汗を流しながら早口で何かに焦るように話していたのを、今思えばおかしな様子だったといえるかもしれませんが、当時の私はあまり深刻に考えていませんでした。)

あんなにやりたいことがあった、生きたかった彼女が死んで、なぜ死にたい私が生きているのか。
私が代わりに死ねばよかったんじゃないか。
そんなことを考えながら、ただ天井を眺めていました。

鬱になると、何もできなくなります。
驚くほどに体が動かなくて、空腹を感じても食事をしようと動く事すらしなくなります。
このまま餓死をするのも悪くないと思いながら、2日は何も食べずにいたでしょうか。

天井を眺める以外にやったことと言えば、LINEの連絡先を削除すること。

私は友人が亡くなったことを知り、当時同じ部活動の同級生全員にLINEを送りました。
ですが、誰からも返信はなく、未読のまま1週間が経ちました。
当時の私は知らなかったのですが、LINEでブロック削除をされると、一方的にメッセージは送れても相手には届かず、その為に既読はつかないようでした。
それを知った後、私は友達なんてそんなものかと、LINEの友達全員の連絡先を削除することにしました。
どうせ死ぬのだから。
私が居なくなっても、誰も気が付かないだろう。

準備はしたけれど、実行に移せるかは別の話でした。
死にたいけれど、自殺する勇気がない。
何度か挑戦したけれど、それでも怖くなってやめてしまう。
そんな私は、私という存在を殺すことに決めました。

私は、私の知らない人しかいない場所で、新しい人間として生きよう。
戸籍の売買という違法行為はしたくないから、せめて分籍でもしようか。

結局は分籍をしませんでしたが、私は自分を偽ることに決めました。
髪を短くして、染めて、ピアスを開けて。
まずは見た目から変えて、寡黙になって。
入社式では黒髪のウィッグを被って生活していました。
極力、印象に残らない人間になろうと生きていました。

今思うと、ただただ白い天井を眺めていた時間は無駄ではなかったんだと思います。
下手に行動をしようとしても、当時は自分を傷つける事しか出来なかったからです。
心の痛みは目に見えないけれど、きっと当時の私は全治3ヶ月の大怪我と同じくらいの心の傷を負っていたんだと思います。
大怪我をした人が病院のベッドで寝ているのは普通なのだから、心に大怪我を負った人が「体は動けるから」と動く必要は無いと思います。
とにかく、休んで寝ること。
それは心の怪我を負ったときも同じです。

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さて、今回はここまでにして。
次回は地獄の会社員時代についてお話していきます。

次回も、よろしくお願いします。

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