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2019年6月28日〜7月4日 理想の犬になりたかった

6月28日 ににねね

 ウエケンさん夫妻(漫画家の上野顕太郎さんとアサちゃん)のお家には、犬みたいにサービス精神旺盛な猫と、犬がいた。非常に理想的な犬だった。大きくて、鼻が湿っていた。優しそうな顔をして、よく眠った。アサちゃんの手料理を食べて、お茶を飲み、喋って、さくらんぼを食べて、喋り、猫を眺め、横になり、起き上がってお茶を飲み、喋り、アイスを食べて、犬を撫で、喋っていると、毎年夏をここで過ごしている時の思い出が次々と頭に浮かんでは消えた(初めて来たのに)。

 近所なんだけど、近所ゆえにあまり行かないお店というのがいくつかあり、そのうちのひとつに夫婦がふたりで経営している小さな小さなパン屋さんがあった。小児科と自宅の間にあって、子供の頃は熱を出して病院に連れて行かれた帰りだけ、そのパン屋さんでパンを買ってもらえた。とても嬉しいのだけど、熱を出している時のパンというのはほとんど味がしない。アイスやゼリーなんかと比べて、圧倒的に風味が感じられないのだ。大きくなって小児科に行かなくなってからは、そのパン屋にも行かなくなった。それでなんと今日までついにあのパン屋さんのパンがどんな味をしているのか(そもそも味がするのか)知らなかったのである。

 というようなことを説明しながら、手土産に持って来たいろんな種類のパン(小さな店なので、一種類につきひとつずつしか売っていなかった)を食卓に広げる。パンはきちんと、それぞれの味がした。

 私が明日富士登山に行くことを知ると、ふたりは駅まで見送ってくれた。アサちゃんに「今日は力強い言葉をありがとう」と言われて内心激しく動揺しながら、笑顔で別れた。ああいう魅力的な人に、私なんかの言葉が響くのだろうか。はー、どきどきした。

 今日は嬉しい日だった。欠けたところがひたひたと満たされていくような。アサちゃんも同じような気持ちだったらいいなと電車の中で思う。そういう傲慢なことを思えるくらい、嬉しい日だったから。

6月29日 雨と風の富士登山

 オフシーズンのほうが混み合わなくていいじゃないなんて思っていたけど、人が少ない時期には人が少ない理由があるのだと痛感している。富士山頂で寒さに震え、雨に打たれながら。7合目辺りで会った人たちは誰も頂上まで登って来ていない。さっき人生で初めて風に吹かれて少し宙に浮いた。

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