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2024.8.28

※文章中に、パニック障害を想起させるようなことが書いてあります。当事者の方、及び心臓の弱い方は、読むのをやめていただくか、もし読んでいただけるのならば、どうか体調を崩さないように読んでいただけると嬉しいです。






 三度寝から目が覚めると、午前11時を回る10分前ぐらいだった。あまり良い睡眠とは言えなかった。最初に目が覚めたのがたしか7時ぐらいで、それから1時間おきぐらいに何故か目が覚め、気を失ったように寝ていたらその時間になっていた。

 目が覚めて、強い雨音が耳に入った。連日の台風のせいで今日も雨らしい。雨音は好きだけど、「雨の日」はどうしても苦手だった。頭が痛い。偏頭痛だろうか。もしくは、寝不足……? あれだけ気を失って寝ていたのに……? 寝不足の心当たりはあったから、しょうがないかと思ってベッドから降り、ロキソニンを口に入れて自分の部屋から階下へ向かった。

 明らかに動悸がする。心臓の音が胸に手を当てなくても分かる。偏頭痛のせいか、頭が痛いし、フラフラする。発作だ。パニック発作のそれだ、と思い、ロキソニンを飲んだあと、頓服薬を取りに行くためにまた自分の部屋へ戻った。

 今日は12時過ぎから病院の予約が入っていた。心療内科だ。その約1時間前に、パニック発作はどう考えてもやばい。落ち着かない。死ぬかもしれない。やばい。やばいやばいやばい。コーヒーを無理やり流し込んでも、頭の中は発作のことで渋滞していた。家を出るまであと30分ほど、発作が出さないようにしないといけない。雨が降っているから、家から病院まではバスで行くつもりだった。バス……? バスの中で発作がピークを迎えたら、僕はどうなる……? やばい。死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ。

 何とかして発作を爆発直前まで抑え、家を出てバス停へと向かった。道中も不安だらけだ。道路の真ん中で発作が出たらどうしよう。台風が迫っているし、外は僕以外人が見当たらない。田舎だから、雨宿りできるような場所もなさそう。やばいやばいやばい。バス停まで向かう足がどんどん早くなる。早く、早く治まってくれ、早く早く早く。

 ちょうどバス停に着いたタイミングで、乗る予定のバスが停車した。よかった。乗り過ごしていたら、雨ざらしの中発作のピークを迎えていたかもしれない。バスへ乗り込んで、後ろから2番目の席に腰を下ろした。

 バスの中では、気を紛らわせるので精一杯だった。ヘッドホンでうるさめの音楽をうるさくして聴き、目的地のバス停までの運賃がいくらか何回も数え、乗客の顔色もなんとなく伺い、窓の外の景色に目をやったりもした。雨は今朝起きたときよりも強くなっていた。





 どうにか目的地のバス停に到着し、病院へ着くことができた。今日は割と待合室が空いていた。先週は僕が来たときには人が多すぎて、待合室の外まで来院者の人たちがいたから、それに比べたら少なかった。僕が通っている病院は、来院した日に次の予約をその場で入れられるので、基本待たされることがあまりなかった。世に出ている「精神科(心療内科)あるある」には、「待ち時間がとにかく長い」というのがもはや鉄板で挙げられるが、僕はそのような経験があまりなく、長くても20~30分ほどの待ち時間でいつも済んでいた。

 名前が呼ばれ、いつもの先生と体感10分ほどの問診をした。この1週間は、前の1週間に比べて元気に過ごせていたと思ったこと。自傷はしなくて済んだこと。口の匂い、粘つきが気になって、歯を磨いたあとなのにもう1度歯を磨いてしまうこと。テレビの音量が5の倍数じゃないと落ち着かないこと。些細なことも全て話した。

 今週から薬が切り替わると伝えられた。今まで飲んでいた抗うつ薬を、別のものに代用するとのことだった。その薬は割と歴史があるらしく、最近僕が気になっている、「細かいところに目を配ってしまって落ち着かないこと」についても、ちゃんとそれを抑える作用があることが確認されているらしい。ただ、その薬が効いてくるのが、今まで飲んでいた抗うつ薬と同じように2~3週間ほどかかるから、また経過を見させてほしいとのことだった。「学生の2~3週間って、結構大きくないか……?」とも思ったが、この手の病気には焦りは禁物だと知っているし、実際焦ったところで治りなんてしないので、平気な顔をして僕の2~3週間を捧げるしかなかった。焦っちゃダメだ、焦っちゃダメ!

 問診が終わり、待合室へ戻って、3分後ぐらいには名前が呼ばれ、自立支援の紙と処方箋が渡された。まだ発作の種は完全には治まってはいなかった。その後、薬局に向かって処方箋を渡し、薬をもらうまでの間も、発作のことを考えていた。僕は、病院で待たされるよりも、薬局で待たされる時間の方が長く感じ、実際長かったのであまり好きではない。落ち着かない。今日は発作のこともあって余計にソワソワしていた。早く薬局から出たかった。名前を呼ばれて薬をもらい、逃げるようにして薬局を出た。




 またバスに乗って、家まで帰る。まだ落ち着かない。こんなことなら、1回本当に発作を引き起こしておいた方が楽なのではないか、とも思ったが、あんなもの経験しなくていいならもう2度としたくなかったので、我慢するしかなかった。落ち着かない。落ち着かない。停車ボタンを押す指が震えていた気がする。もういつ発作の種が発芽してもおかしくなかったように思う。バスを降り、降りしきる雨の中僕は家まで半分千鳥足のようになりながら歩いた。




 家に帰ってきた。帰ってきた途端、発作が少し治まったような気がした。よかった、発作は完全に発露することはなかった、よかった、と思いながら、自分の部屋へ向かった。

 荷物を下ろし、ベッドの上に横たわった。病院に行くだけで、ありえないほど疲れてしまった。体がというよりは、心が。普段ここまで疲れることは珍しかったので、これが予期不安に繋がらないことを祈りたい。ようやく頭がスッキリしてきた。頓服薬が効いたのは、飲み始めて1時間半ほど経った頃だった。時間かかりすぎ! いつもなら30分ぐらいで効いてくれるのに、3倍も時間がかかってしまった。薬の耐性がついてしまったのか。けどその頓服薬は、飲むと絶対に効いてくれるし、いつも飲んでいる薬と違って効果が目に見えて分かりやすかったから、そんな頓服薬のことを責める気にはならなかった。とにかく、発作は治まった。よかった、よかった。







 病院から帰ってきたあと、僕は「chatpad」というものを開いた。簡単に説明すると、無料で知らない人と会話ができるネット上のサービスのことだ。いつからあったのかは分からないが、結構歴史があるらしい。昨日はそこでした会話が盛り上がりすぎて寝るのが遅くなってしまった。

 ここには、いろんな人がいる。開口一番下ネタを言ってくる人。こちらが男だと分かると、チャットルームを閉じてしまう人。「女と会話しないと意味がない!」とキレるおじさん。出会い厨のおじさんと出会い厨のおじさんを繋げる人。デリカシーのない人。専業主婦。高校生。大学生。社会人。僕と同じように、精神病を患っている人。さまざまな人が存在するので、chatpadは割と好きな空間だった。

 chatpadで僕は、たまに相談されることがある。そもそも相手の情報なんてお互いほとんど分からないし、下ネタを言う人や出会い厨のおじさんが体感8割ぐらいなので、まともに会話できる人がいると自然と会話が続くようなシステムになっていた。そこである程度会話が進むと、相談を聞いてくれますか、とか、逆に僕が病気のことを話して、かけてほしい言葉をちゃんとかけてもらえたりとか、そのようなやり取りができた。

 そこで相談に乗っていくうちに、「自分、相談に乗るセンスがあるかもしれない」と思った。ちゃんと話は聞くし、必要なら解決策も提示するし、大学受験のような自分も経験したことの話なら、その経験に沿って先輩面してアドバイスすることもできた。それで本当に解決したとか、実際気が楽になったかは分からないけど、文面での「ありがとうございました!」からは、本当にその気持ちが伝わってくるような感じがした。それがとても気持ちよかった。ほとんど自慰行為に近いが、自分の病んだメンタルにはこれぐらいの成功体験で十分だった。






 そこで、カウンセラーの仕事が自分には向いているかもしれない、と浅はかながらに思った。

 元々人の話を聞くのは好きだし、上記のように成功体験(と言えるかは怪しいが)は積んできていたので、この仕事なら、自分でもできるかもしれない。精神疾患の人の気持ちも、当事者だから少しは汲み取ってあげられるはずだし、的確なアドバイスはできなくても、なかなか普段話せないようなことを聞いてあげられる話し相手のような存在にはなることができるかもしれない、と思った。

 ただ、そのような仕事に就くのも、資格を得るのも、まずは自分の体を治してからだろうと思った。病人に話を聞いてもらっても、相手が逆に気に病んでしまうかもしれない。自分が病気を治さないといけない。焦ったらダメだけど、なりたいものをようやく見つけられた気がするから、それに向かってまずは自分がのんびり休もうと思った。映画「ちひろさん」でリリー・フランキーも、「しばらく沈んどけ、人間浮くようにできてる」って言ってたし。

 なんとかなる、なんとかなると思っててもさ、やっぱり焦っちゃうよねーーー

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