弔電とチョコレートを、嬉しそうな笑顔のあの人へ

数年前まで習っていたお稽古事の先生のご主人が亡くなったようだと、実家の母が連絡をくれた。新聞のお悔やみ欄で見つけたのだそうだ。
亡くなられたのは年の瀬のことで、新聞の掲載も葬儀も年が明けてから、ということで、わたしは何も知らずに年賀状を出してしまったあとだった。
故郷を離れて以来数年間、電話もせずに年賀状のみのお付き合いになってしまっていたので、詳しい近況は知らなかったが、ご夫婦ともにもう高齢ではある。葬儀は家族葬ながらきちんと行われるようだったので、コロナではなさそうだと思い、なんとなく救われる思いがする。

ご夫婦は弟子の中でも若手だったわたしを可愛がってくださり、お稽古に行くとご主人も必ず部屋から出てきて「おー、いらっしゃい。ちょうど今ね、ところてんがあるから食べていきなさい」などと言ってくれる。干し柿のこともあった。
わたしはところてんも干し柿も苦手なのだが、あまりに嬉しそうに勧めてくれるのでなんとか笑顔で食べた。
干し柿の時は小学生のお弟子さんも一緒だったのだが、彼女はやはり口に合わなかったようで、「わたし、もうご馳走様したーい」と駄々をこねるように言っており、その素直さが羨ましかったっけ。
お稽古が終わると、待ち構えていたかのようにやって来て練習中の趣味を得意げに披露してくれたこと、お正月の福袋に真っ赤なセーターが入っていたとわたしに見せびらかして嬉しそうにしていたこと、お稽古の発表の場ではたくさん写真を撮ってくれたこと。どの思い出の中でも、ご主人は嬉しそうに笑っている。

20代前半の時に一度、わたしに大きな場がまわってきたことがあった。
若かったわたしは技術もなく、完全に「場の華」のような役割で呼ばれたのは明らかだった。年配の先生方に囲まれ、お客さまは著名な方や偉い方ばかりという晴がましいその席で、わたしは大失敗をした。
緊張と長時間の板の間での正座がたたり、立とうとした拍子に思いっきり、それはそれは思いっきり派手に、転んだのである。太腿にものすごい色の痣を作った。
その時には他の失敗もあり、場が場でもあったので、終わったあとで先生のそのまた先生から叱責を受けた。
次のお稽古の時にわたしは泣きながら先生に「もう嫌になった、やりたくない、やめたい」と訴えた。
優しい先生は困った顔で優しくとりなしてくれたのだが、わたしは心が折れていたし太腿の大きな痣は緑色をしていた。
その時に襖が勢いよく開き、ご主人が現れた。
「あのねえ、僕はこの歳になるまで失敗ばっかりだよ!こんな歳になっても、恥ずかしいことばっかりしちゃうんだよ。ハハハハ。君なんかそんなに若いんだから当たり前、当たり前。ハッハッハ」
それはそれは明るく笑い飛ばしてくれて、わたしもつい笑ってしまい、結局お稽古はやめなかった。
その後しばらくして、本当にやめる時が来た時には、パスタを食べに連れて行ってくれた思い出がある。

おふたりには、子どもがいない。
甥や姪のことを自分の子どものように可愛がってはいたが、近くには住んでいなかった。
詳しく尋ねたわけではないけれど、ある時先生との雑談の中で、医療関係者でもないのに流産の処置について詳しく知っているなと思ったことがある。
「たられば」は少なくともわたしが語ることではないが、もしお子さんがいらっしゃったなら……どんな家族になっていたのだろう。わたしはつい、そんなことを考えてしまった。

ご主人はもともと立派な仕事をしていた方だし、先生も一門を率いる師範である。交友関係の広さはよくわかっているし、親戚が多いのも知っている。
疎遠になっていたわたしなどが、こんな大変な時に電話をかけるのははばかられ、訃報を知って取り急ぎ弔電を打った。
電報というものを使ったのは実は初めてで、よくわからなかったが、スマートフォン一台ですべて完了した。
読まれたのかどうかはわからないが、ご主人のからだのあるうちに、斎場にわたしのメッセージが届いたならいいと思う。

ご夫婦との思い出のなかで印象深いことがもうひとつある。
バレンタインだ。
バレンタインの前のお稽古の時のこと、
「主人はね、あなたみたいな若い子からチョコレートいただいたりしたらすごく喜ぶの〜!スーパーのでいいから、ちょっとしたのを買ってきてあげてくれない?」
先生はそんな可愛らしいお願いをわたしにしてくれた。
なんだかおかしくなって、わたしはデパートでちょっと見栄えが良く美味しそうなチョコレートを買い、ご夫婦への手土産にした。
「おお〜、これは!上等なチョコレートだなあ」
ご主人はそれはそれは大袈裟に喜んでくれた。
「ほらね」
と言うような顔で、奥様である先生も嬉しそうにしていた。
とても仲の良いご夫婦で、わたしは結婚後、もし子どもができなくてもあのふたりのように睦まじく歳を重ねられたらいい、とずっと思っていた。

バレンタインデーまであと1か月となり、わたしは今チョコレートについて調べている。
地味な洋服ではなく赤いセーターが好きだったご主人に贈るチョコレートは、華やかなものを選びたいが、さすがに赤や金の包みでは葬儀から1か月で届く品物としては失礼だろうか。でも、黒や茶色のシックなものというのもイメージではない。
きっと笑顔であろう遺影の前に置いてもらえるような、見た時に慰められるような……そして、わたしらしいとおふたりに思ってもらえるようなチョコレートを探している。
今は帰省ができず、手を合わせに行くこともかなわないが、優しくて大好きな方を精一杯思い返しながら、今日を生きている。

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