long-term cear〜少し距離をとったその後
父の一周忌を終えて、少し母との距離を取ってみた。
普通?は距離を縮めるのだろうか?
■盆前の急遽帰郷》》》
実家にはお盆に戻る予定でいたが、急遽お寺の用事でトンボ帰りする事に。
まぁ一晩は居るけれど。
こうと思うとやらなければ、そこにしか想いをフォーカスしていかない事がわかった。
自分の為にもやれるなら一度願いを叶えておかないと後が大変だ。
■一か月半離れていた母》》》
電話は事あるごとにかかっては来るが、株価の如く上下変動する😅
言うだけ言って電話を切られるから迂闊に出られない。
最近はまずは留守電に残す事は覚えている様だから、留守電を聞いてから電話する様に自分を切り替えた😄
吠えてるだけなら熱が下がった頃惚けて電話してみる。
案の定、電話した事は覚えてないが、日によっては徐々に思い出す。
厄介だ😭
自分の意思もその場その場になって来ているから、気にいる様にやろうと思っても、何時間後かにはびっくりがえる。
本当にもう‼️って思うけど、致し方ない。
病気だ、
自分の心が引っ掻きまわされない様するしかない。
これは大事なポイントだ。
ようやっと最近底まで掻き回されなくなった気がする。
私も少し大人になったか😅
ただ…やはり記憶の遠のきは進みは早い。
ご近所の方々に本当に恵まれて、母への声掛けをこまめにしてくれる。
近所に新しく越して来た若夫婦も小さな子を連れて声掛けしてくれる。
恵まれた。感謝しかない。
それでも、朝、昼、晩とご飯はテレビ相手に見るわけだから、当然無言で食べてるわけだ。
今更ならながら、会話とは大事な物だと思う。
■施設…》》》
色々な事が心配になるから、とりあえず安全なところへとは思うが、まだ母の家への執着は強い。
これは中々消えるものではないのだろうなぁ
そりゃ記憶が乏しくなった時間より家にいる時間の方が遥かに長いのだから…仕方がないかな😅
土地神話、家長制度の中で育ち、生きてきた人間に、土地を捨てて家族でない人達と仲間になって生活してくれと言う方が無理な話なんだろうなぁとは思う。
自分はどうなんだろう?
意外とそんな生活いける気がしてる。
あんまり家や土地に執着が無い。
自分にとって心地よい場所…それが有れば良い。
母にも出来ると良いな。。。そんな場所。
…母には家か…そこに家族と呼べる人が居れば良いんだろうな…
施設はきっとまだ家にはならない。
■盆会》》》
これから盆を迎える。
母はまだ新盆と思っている。
確かについこの間、父は亡くなった気がしているが、1年は経ったのだ。
こんなコロナ禍だから移動については慎重に、慎重に。
今日もPCRセンターに並ぶ人が長い列を作り密となっている。
みんな盆には故郷に帰りたいと思うのだろうなぁ。
普段は別の場所で居場所を求めてるのに。
私も今週末にはまた実家だ。
とりあえず家族が集まる。
盆が終われば、一人帰り、二人帰り…だんだん寂しくなっていく。
だいたい、私が最後に残り帰る。
薬と同じで、母から離れる時が難しい。
上手く離れないと記憶が乏しくなったとはいえ、“寂しい”と言う想いだけが母を襲う。
“気をつけて”と手を振る母の姿はしばらく私を苦しめる。
盆…家族も先祖も同居するこの時期。
今年はどんな想いを残すのだろう。
■変わっていく想い
少し前まで…父が亡くなり、母が一人になり、それぞれの場所でお互い思いやりながら…なんて思っていたけれど、だいたいは想像通りにはいかない物だと落とし込みをする。
自分も歳を取り、去年より体力がなくなり、踏ん張りが効かない自分を認めながら、もう少しネジを巻き直せないかと色々とやってみる。
こうしよう、ああしよう、こんな想い、あんな想いも歳なりの体力と共に少し…少し…変わっていく。
今は母と同じ…想いも迷いの中にある。
母のまだらボケ=私の想い。
今回は考える帰郷になりそう…
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